「義理と人情」という言葉のイメージは、仏教とは関係ない事柄が浮かんできますが、
きっと釈迦の教えの中にも義理・人情を説く部分はあるのでは・・・。
右上の墨文字「三州吉良」の三州とは三河国の別称です。尾張国を「尾州」と言うのと同じです。
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▼源徳寺は2011年に幡豆郡吉良町から編入合併された西尾市にあります。
▼「義理と人情」というとこの人を外せません。高倉健の任侠物映画は見たことがないので、あくまでもイメージです。
尾崎士郎原作の「人生劇場」は戦前から戦後まで14回も映画化されています。
その中で1963年の東映作品「人生劇場 飛車角」のキャストに高倉健の名が載っています。
その映画の他のキャストを見ると鶴田浩二、佐久間良子、月形龍之介、梅宮辰夫、加藤嘉、村田英雄などの名が並んでいますが、佐久間を除いて全て他界しているようです。
いずれにしても小説は読んでおらず、映画も観ていません。
しかし、
▼尾崎士郎の自伝的大河小説を見習った五木寛之の「青春の門」は読みました。
読んだと言っても覚えているのは確か四部「堕落編」、五部「望郷編」くらいまでで、続く6、7、8部は読んでいないような・・。
おまけに「新・青春の門」はその内容を全く知りません。
「人生劇場」ほどではないものの「青春の門」も映画化やドラマ化され、山崎ハコは「織江の唄」なんていう、思いっきり暗い曲を歌っています。
小説の中で、織江は信介の幼なじみで「信介しゃん」と呼ぶ場面が度々出てきます。
▼ところで今回訪問の「源徳寺」と、御朱印の主文字になっている「人生劇場」に直接の関係はありません。
「人生劇場のふる里」と御朱印のスタンプにあるように、現在の西尾市が尾崎士郎の生まれた土地だからです。
吉良町には「吉良三人衆」という言葉があって「尾崎士郎」と、忠臣蔵で悪役にされている「吉良上野介」、さらに実在の侠客「吉良の仁吉」の3人を示します。
「吉良の仁吉」は清水次郎長の兄弟分でしたが、次郎長に義理を果たすため、ある戦いで殺されています。
戦いと言っても侠客同士ですので大規模な喧嘩ですが、28歳の若さで無くなっています。
▼彼の「義理と人情」を讃える歌碑になるのでしょうか?
「・・・おれも生きたや仁吉のように・・・」と村田英雄が歌った歌詞が刻まれています。
▼そしてその仁吉の墓です。
清水次郎長と共に仁吉の遺族が建立した墓だそうです。
吉良町では毎年6月に「仁吉まつり」も開催されるそうです。
多くの人物を登場させたきた記事ですが、みんな遠くに行ってしまったか、行きそうな(失礼)人たちばかりです。
そして日本人の精神構造の一つでもあった「義理と人情」も遠いところに行ってしまい忘れられてしまうかもしれません。
源徳寺の訪問は夕方近くだったのでヒッソリとしていました。
そんな訳で御朱印は庫裏のブザーは押さず、本堂前に置かれていた書置きをいただいてきました。