▼西向天神社の御朱印です。(東京都新宿区新宿六丁目)
▼同、西向天神社 2013年の御朱印。
2体とも中央の「西向天神社」の墨書きは個性的ですが、筆跡は異なる書き手を表しています。
同じく中央の大きな朱印は「武蔵国 西向天神社 大久保郷」です。
神社の住居表示は新宿六丁目ですが、以前は東大久保という町名でしたし、神社もかつては「大久保天満宮」と呼ばれていたそうです。
2019年にいただいた御朱印には、13年にいただいた「奉拝」の文字の位置に「東大久保」と墨書きされています。
御朱印の内容に、ほかは何も変わっていません。
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▼西向天神社は込み入った住宅街に鎮座しています。2路線が交差する「東新宿駅」が最寄駅になります。
「新宿」の町名は1〜7丁目まであります。
すべて山手線の内側になり新宿駅周辺の2〜4丁目は商業施設の多い地域ですが、6・7丁目はほとんどを住宅地が占めています。
その住宅街の中を車も通れないような細い道が迷路のように張り巡らされています。
もっとも東京は新宿に限らずどこもお同じで、幹線道路から一歩外れ、住宅街に入ってしまうと同じような密集した住宅と細い道路が続いています。
▼そんな地域の少し高台に神社は鎮座しています。
▲▼上下の写真2枚は2013年6月訪問時の撮影。
▼ここからは2019年撮影の写真です。
6月の緑の深い境内と、紅葉がまだ残っている初冬の12月訪問とでは雰囲気はまるで違います。
▼境内へ続く石段下の狛犬も首をそれぞれ傾け、神社同様に西を向いています。
と言ってもどの神社の狛犬もほとんどは首を傾げ、参道を進んでくる参拝者を迎えるのか、威嚇するのかのような姿です。
でも中には身体の向きのまま真っ直ぐ向いていたり、天を仰いでいる狛犬もあります。
やはり狛犬は不思議で面白いというか、奥深い意味を含んでいるのでしょう。
そこまで狛犬に興味を持つことはできませんが、深入りすると御朱印ブログではなく、狛犬ブログになりそうです。
▼境内下からの石段はゆったりした斜度が造れず、急な上りとなっています。
東京の紅葉は12月になってもまだ散らずに輝いています。
▼石段を上がって振り返った方向が「西」ということになります。
ところで「西向」という名称を持つ神社は、全国でもここだけじゃないでしょうか?
「西」ではないのですが「長野善光寺の対の観音」と呼ばれる「北向観音」が別所温泉にあります。
この「北向」という名称の寺院(観音)も全国で唯一でしょう。
長野の善光寺の阿弥陀さまは他の多くと同様に南を向いています。
そしてそれに応えるように別所の観音さまは北を向いています。
南北に向き合い、それぞれ「未来往生」「現世利益」を願う御本尊と言うことで双方に詣でないと「片詣り」と呼ばれ、「現在」「未来」の両方にお参りした方が良いとされています。
北斗七星に由来する「北向」の話をすると長くなりますので、「西向」の話に絞りましょう。
普通は神社の社殿や寺院の堂・本尊は東か南を向いています。
ですので、
「北向観音」も別所温泉だけ、「西向」の名称を持つ神社はここ「西向天神社」だけではないかと前述しました。
しかし寺院ではいくつかあります。
寺院名と言うか通称のになるでしょうか、東京・増上寺内の「西向観音」は有名で「江戸三十三観音」の札所にもなっています。
寺の「北向」の理由は「西向」同様、仏教を元にした諸説がありますが、「西方浄土」を意識されていることは間違いないようです。
仏教で示す西・東は少し理解できますが、
ここ「西向天神社」の神社の場合の「西向」は何を意味するのでしょう。
単に社殿が西を向いているからの名称では無いはずです。
1228年の建立時に、その向きを意識したはずです。
やはり諸説あり、京都の北野天満宮を勧請しているので京都を向いている。
または
祭神の道真が祀られている「太宰府」を向いていると言われています。
不確かなことばかりですが、どれが真実であっても構わないように思います。
「西向天神社」の名前と神社そのものが800年の歴史とともに、さらに800年維持できる日本人であれば素晴らしいと思います。