6月に一旦打ち切った、北陸旅の3日目まで掲載した御朱印巡り記事を再開、まだ2日間残っています。
その4日目は、金沢の街を歩きます。
▼片町に宿泊したホテルのすぐ裏という位置にある犀川大橋を渡ります。
▼橋を渡ってすぐ右に折れると見えてくる塔、寺です。
最近は見知らぬ土地で目指す寺社を探すときの一つの目安というか、ランドマークは自分なりにこなしています。
都心部ではアテにできないのですが、地方では神社の場合は「森」、寺の場合は高い「甍」もしくは「塔」を目指す。これで間違いない。
▼塔が見えたら寺で間違いない、雨宝院。
▼◯に金のマークは?
ラーメン屋でも見かけたことがあるけど、関係ない?
ということは金比羅大権現を祀っている?。
▼左の石柱は迷子石。読めないけど「まよひ子ここへもて来べし、ここへたずぬべし」と彫られているとか。昔の迷子専用の伝言板ねっ。
室生犀星が少年期を過ごした寺。
でも室生犀星は「性に目覚める頃」しか読んでない。作中に登場する寺はこの寺のようですが純文学には縁が薄い。
寺の近くには室生犀星記念館があるみたいだけどパス!
開祖はまたもや「泰澄」のお出まし。
▼犀星の作品に登場する杏の木は、当時のままとか。
犀星が住職のお茶を立てる為の水を汲みに下りた犀川、今はコンクリートで護岸されています。
こじんまりとした寺。犀星の作品中の寺はもう少し規模が大きい印象が残っています。明治時代だから、当時の寺域はもっと広かったかもしれない。
住職は気さくな方でした。室生犀星について、犀東→犀西→犀星となった話をする。
同じ金沢出身の詩人「国府犀東」に対抗して、当初は「犀西」と名乗っていました。
犀川の西に住む犀西だが、あまりに露骨? で犀星にした? とか。
▼西茶屋街を歩いてみます。
金沢では東茶屋街と主計町茶屋街が「重要伝統的建物群保存地区」に指定されていますが、ここ西茶屋街はその指定になっていません。
どこが異なり仲間外れにされたのか見当つかず不思議です。
しかし、こういう街や通りは日本国中どこにでもあって、たくさん見てきていると、もう新鮮さを感じなくなって、食傷気味。
▼この案内、妖艶な芸者さんの襟足「色っぽ過ぎ」、通りに似つかわしくないわね!?
「ふるまいざけ」? 5月4日は、もう金沢を離れているし・・・。
もう1泊延ばしたいわねぇ!
▼大好きな無料! だから入ってみます。
▼加賀の富裕層、粋人たちは、こんな部屋で一時を過ごしたのかしら。
「朱壁」赤色は人の気分を高揚させます。気分だけ高揚しても「ふ〜〜ん」で終わるしかない!
▼金沢を舞台にした文学作品の展示版。ほとんど「知らん!」読んだのは室生犀星が1つ、五木寛之が2つだけかな。
▼妙立寺。
▼本堂の一番先端は望楼になっています。この地域一帯の寺町は金沢の防備的な役割も担っていたそうです。
忍者寺とかで、この寺だけ賑わっていました。日本人も外国人も忍者はチョー人気!
でも、大勢の人に混じっての観光寺はもういいかな? と思って入らずじまい。
売店のようなところで書置きの御朱印だけいただく。日付なし! 「ふ〜〜〜ーん」。
住職以下、忍者寺の説明にお忙しいのね!?
中央の文字は「立正安国」でしょうね。
▼妙立寺からチョッと歩くと「伏見寺」。
▼忍者寺から一変して、ここは誰もいません。
▼その気は無かったのに気が弱い! 玄関で半ば呼び込まれ観覧してしまいました。500円。
▼本堂に入ってすぐ上にある扁額「瑠璃殿」。しかし本尊は薬師如来ではなく「阿弥陀如来」?でした。
おばちゃんがガイドしてくれたましたが、堂内は撮影禁止。
説明途中で質問を挟むと「待って! 全部説明が終わってからにして!」
やはり、どこも途中でチャチャを入れられたりすると調子が狂うみたい。
仕方なく、アイヅチだけにしておきました。
説明が一通り済むと、こちらの質問内容も忘れてしまった。
だが500円は不満ではありません。金沢の地名由来となった「芋掘藤五郎」や「金洗沢」など丁寧な説明に、知らなかったことが多く価値はあったかな。
▼芋掘藤五郎の墓。
本尊「阿弥陀如来」の御朱印。こちらは朱印帳に丁寧に揮毫いただけました。
さすが寺町、この地域で30以上の寺がひしめき合っています。
拝観不可もあるかもしれないが境内は自由でしょう。ゆっくり巡ると1日がかりになってしまうかも。
この地域では上記の3寺しか訪問していませんが、いずれも小じんまりとしている点では共通していますが、寺の対応や見所、雰囲気は三寺三様。
▼金沢はスバラシー! よく見かけるカンバンですが、わざわざ「有料P」としているところがニクイ!
丸一日駐車したら¥240,000!わたしの月収を超える?
この日の午後は寺町を離れ、金沢中心部、兼六公園方面へ移動です。
次回!