▼春日山 林泉寺の御朱印です。(曹洞宗・新潟県上越市中門前)
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▼「惣門」は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられています。
後の謙信「虎千代」は7歳でこの寺に預けられ、7年後の14歳に戻され、元服して「長尾景虎」となるまで住職の薫陶を受け、勉学に励んだそうです。
ここはそんな謙信の原点とも言える場所かもしれません。
上杉家の菩提寺ではありますが、上杉は越後から会津へ、会津から米沢へ移封されています。
菩提寺としての林泉寺も、その都度移転したとも伝わっており、現在の米沢にある上杉家の菩提寺は、この寺と全く同じ名称「春日山 林泉寺」となっています。
上杉の移封後も後々の藩主により庇護を受けて「林泉寺」の名を残してきたようです。
それぞれの寺に言い分や事情があるかもしれませんが、米沢の林泉寺も、越後の林泉寺も上杉の菩提寺「春日山 林泉寺」でイイでしょう!
どこを見ても綺麗に整えられた気持ちの良い境内です。
▼山門と同じく本堂は新し目です。江戸時代の火災でほとんどの建物を失っているそうで、その後の建立です。
▼「第一義」の扁額は「義」を重んじた謙信直筆と伝わりますが、これはレプリカのようです。
「越後の龍」と恐れられた謙信は戦国時代の武将としては不思議な、特異な存在です。
生涯独身で女性とも交わりがなかったと伝わっています。武将というより僧と言った方が分かりやすい部分を持った生涯でした。
「謙信公の墓」という案内があったので山側に登ってみます。
▼「上杉謙信公の御墓」と記した木柱がありました。右の小さい墓石が謙信の墓です。
周辺には川中島の戦いで戦死した武将の墓もあります。
▼真ん中の大きな塔は供養塔というのが正解かもしれません。
▼「天正六年 三月」の文字が読めます。
謙信は天正6年3月13日(1578年)に急死しています。49歳でした。
川中島で何度も睨み合った謙信の宿敵とも言うべき武田信玄は、謙信の死の5年前の1573年に53歳で没しています。
信玄は息子勝頼に「自分の死後は謙信を頼れ」と遺言したとも伝わります。
この寺は米沢の林泉寺や廟所とは違う空気感が漂い、謙信になる前のまだ幼い長尾虎千代の笑顔が想像できる場所でした。
▼山形・米沢の林泉寺です。