▼成田 熊野神社の御朱印。直書きでいただいたのは月替りの8月の御朱印。
中央に押されている大きな朱印は「熊野神社南羽鳥」。南羽鳥は神社の住所。
ビミョーな巫女さんのイラストは、シローとっぽさが好感です。
▼社殿前に何種類もの御朱印サンプルと電話番号の案内がありました。
▼書置きも用意されていましたが、「お時間をいただければ直書きいたします」の案内と電話番号。
これだけで、ほぼ神社の御朱印に対する姿勢や宮司さんの性格の一部が見えてきます。
御朱印の墨書きも「成田熊野神社」とだけになっているので、ブログ記事タイトルも同じようにしたのですが、
googlemap や神社のHPは「成田豊住熊野神社」と表記されています。
周辺には「熊野神社」が多いのでしょう。
紛らわしさ回避のため「成田豊住」を付け足しの区別なのでしょう。
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▼残念ですが成田熊野神社に最寄駅は見つかりません。
あえて公共交通機関利用ですと、JRか京成の「成田駅」からコミュニティバスが出ているようです。
関東平野に山はありません。
神社が鎮座するのは田園地帯でもなく山間部でもない丘陵地帯です。
周辺にはいくつものゴルフコースがあります。
▼神社に向かう途中、千葉県にも「名古屋」があることを知りました。
名古屋の地名由来はいくつかあって、
古くから使われている「根小屋」や「根小名」が訛ったものだそうです。
▼神社入口の鳥居前の脇道を進むと駐車スペースがあり「御朱印」の幟が何本か立っています。
既製品の幟でしょうが、この幟を選んだ方の気持ちがわからんでもありません。
▼駐車場脇からも境内に入れるようですが・・・
▼正面参道に回ります。森が深く、まさに地元の「杜の鎮守」的な様相です。
▼しかし「杜の鎮守」にしては社号標も鳥居も立派過ぎます。
▼都心部の神社では味わえない、土と苔がある参道が深い森に伸びています。
▼木製の味のある鳥居ですが、鳥居の種類と名称はなかなか覚えられません。
これは確か「両部鳥居」。
▼先に拝殿に向かいますが「杜の鎮守」の表現は取り消しです。立派な古社です。
▼手水舎も時の積み重ねが感じられます。
神社のHPによると熊野神社の創祀は920年。平安時代の中頃でしょうか?
▼もちろん社殿はもっと新しく、何度も焼失、再建を繰り返し、現在の社殿は江戸末期の再建だそうです。
▼提灯には八咫烏ではなく赤く「九曜紋」が描かれています。
▼社殿は外観とは違い、明るく清潔な煌びやかな内部となっていました。
▼拝殿の縁には古そうな恵比寿像や細かな彫り物が寄せ集められています。
▼崇敬者の奉納神馬でしょうか? サビが浮いてしまっています。
▼小さなアマガエルの置物も・・・と思ったら本物、生きていました。
▼拝殿前の提灯の柱にとまり、近づいてもジッとしていて動きません。
兄弟? 恋人同士? 夫婦? どうやら、かしこまって参拝中のようでした。
▼都心部や住宅街に建つ神社では味わえない清々しい空気が漂っています。
▼社殿右手に建つ境内社。
▼案内は見つかりませんが、天満宮のようです。
▼参道周辺に戻って境内を見て回ります。
▼青面金剛の庚申塔。庚申信仰はよく理解できません。三猿が彫られていることで庚申塔とわかる程度の知識しかありません。ナサケナイ!
▼森の奥まったところにも小さな祠が建ちます。
▼「五号」?です。「浅間様」と書かれているので浅間神社でしょう。
神社を訪れた当初、他に参拝者は見当たらず、社務所らしきもなく人の気配もありませんでした。
拝殿に用意された書置きの御朱印をいただいて境内を見て回ってふと気づくと、
▼境内の片付けでしょうか、物を燃やそうとする作業着姿の男性が現れました。
「宮司さんですか?」声かけしました。
「ハイ! 御朱印ならお書きしますよ」
「いや、御朱印ごときで作業の邪魔をするのは申し訳ありません」
「いやいや、それが仕事ですから・・」
「仕事」? んん〜〜〜ん!
宮司さんにはもっと大事な仕事もあるのでしょうが、御朱印対応も仕事には違いないか?
そんなやりとりをしていると、新たな参拝者が2組、2人やってきました。
もちろん新たな参拝者の彼、彼女も御朱印目当てでした。
焚き火の煙たなびく境内から外に出て行きました。
宮司さんが消えた駐車場方向に出てみました。
▼のどかな風景の先の家が、どうやら宮司さん宅のようです。
しばらくすると、今度は若い女性が記帳済みの朱印帳を手に戻ってきました。
宮司さんの奥さんらしき方でした。
御朱印のデザインや幟に女性らしさがにじみ出ていますので、きっとこの方のセンスなのでしょう。
ありがとうございました。