▼三崎稲荷神社の御朱印です。()
▼同、三崎稲荷神社の御朱印(2013年)。
6年の時を経て墨書きも朱印も変わっていませんが、中央の神社名の墨書きが異なると、同じ神社の御朱印とは思えないイメージを与えられます。
23区内の、とりわけ都心部の寺社は車で巡るわけにはいきません。
▼ワタシの職場の近辺にはこんな駐車料金のパーキングもあります。
1時間駐めたら1200円。朱印帳が1冊買えます!
最大料金3800円としても、いったいどんなん駐車場なのよ?
しかし、なんの変哲も無いパーキングなのです。
上の写真の場合は、極端な料金例かもしれませんが、東京都心部のパーキング料金に大きな違いはありません。
ボンビーはケチって僅かの間だけ路駐すると、目ざとく駐車違反の取締役、グリーンのユニフォームを着て、全く非生産的活動を恥とも思わず、人に喜ばれ感謝される仕事に就けない、いい大人の2人組がステッカーを貼っていきます。
すると、15000〜18000円のお支払いを避けらなくなります。
ちなみに「信号無視」罰金=9000円、「駐車違反」罰金=15000円以上。
どちらが危険か小学1年生でもわかりますので、全く理解に苦しむ罰金の数字です。
脱線して私怨のような話はナガナガと続きそうなので、ここまで!
▼ということで都心部の寺社巡りは公共交通に限ります。
JR「水道橋駅」東口はガードの下です。
頭の上を中央線、総武線が絶え間なく行き来する騒がしい出口です。
▼駅を出て左に目を向けると「後楽園遊園地」が見えますが、今は「東京ドームシティ」と呼ぶそうです。
「遊園地」という名称が時代にそぐわなく改称したのでしょうか? 中身は変わらないのに!
ちなみに、浅草の「遊園地」の「花やしき」は昔から変わらず「花やしき」です。
百貨店がデパートと呼ばれればオシャレと言うものでもなく、今や「デパート」も「アパート」も死語になりつつあります。
人名、社名など全ての名称は時代とともに変化です。
じゃんじゃん話が逸れます。少し戻します。
▼水道橋駅の南のガード沿いは飲み屋街となっています。
この地域はポンダイはじめ大学もひしめいていますので、リーマンと仲良く学生たち御用達の飲み屋街でもあります。
▼水道橋駅東口出口の南になる、右手奥は住所が「西神田」になります。商店街のペナントは恥ずかしいようなダジャレになっています。
▼駅方面を振り返って見て図々しいほど大きな高層ビルは「東京ドームホテル」。
▼上記のような立地にある「三崎稲荷神社」は、当然ビルの谷間。
駅から歩いてほんの2、3分なのに、記事にすると やっとたどり着いた鳥居です。
鳥居前を行き交う人々は神社をに向かって一礼して去っていきます。
人々が神社、寺に対して現在ほど敬虔な姿を見せるのは、近年には無かった事のようにも感じます。
神社の境内は言うまでもなく狭小ですが、箱庭のようで緑も多く気持ちの良い空間です。
狭いだけに手が行き届くのか、境内は頗る整えられ、手入れされています。
「宇迦之御魂神」をはじめとする神社の祭神たちと狛犬に許しを得て、またまた話を脱線させます。
ここ「三崎稲荷神社」の鎮座地は「神田三崎町」になります。
東京千代田区の住居表示は「神田・・・町」と表すのが多く、一つの町の面積は大きくはありません。しかし「神田」は広いのです。
例えば「神田鍛冶町」「神田紺屋町」「神田猿楽町」など、かつての町の生業が想像できる町名が残されていますが、すべて「神田」を冠称しています。
地名のブランド力が住居表示を文字数の多い、ややこしいものにしています。
それは東京中央区の「日本橋」も同様で「日本橋兜町」「日本橋人形町」「日本橋馬喰町」などと表されています。
つまり住居表示としては「神田」も「日本橋」も、その冠称を外しても、何ら混乱しないのです。メトロの駅名などはこの冠称をすべて略しています。
徳川将軍も参詣したと伝わる神社とは関係のない話ですが、住居表示で「神田」の文字が消えたり、復活したりと変遷してきました。
この神社も創建された当初の本郷一丁目あたりから、2度、3度遷座を繰り返して現在地に落ち着いています。
移り変わらぬものは何一つなく「ナウ」は常に一瞬の出来事。
足も踏み込めない所で忘れ去られたように建つ小さな鳥居も一時の出来事。