/


にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

新小岩香取神社の御朱印(東京・葛飾区)〜「コマツナと小松川」「間々と真間」ままある迷宮

新小岩香取神社御朱印です。(東京都江戸川区中央4-5-23)f:id:wave0131:20210913181539j:plain正式名称は「香取神社」でしょうが、

通称として「新小岩香取神社」「新小岩厄除香取神社」、

旧称では「間々井神社(ままいじんじゃ)」「間々井宮」、「間々井香取神社」などと呼ばれていたそうです。

間々井(ままい)」は、千葉県市川の真間と関連がありそうです。

 

中央の印は「氏神之大御璽」。

読みは「うじがみの おおみしるし」で良いのでしょうか?

--------------------------------------------------------------------------------------

 

JR総武線新小岩駅」から歩くと12〜13分くらいになります。

神社の鎮座地は、いく筋もの川に囲まれている地域です。

西から「荒川」、平行して「中川」、

現在は気持ちの良い親水公園になっている「小松川」、

東に進んで「新中川」、「江戸川」と続いています。

 

f:id:wave0131:20210913181557j:plain

 

そんな川だらけだった地域ですので、

神社創建当時の江戸時代以前は、広く湿地帯となっていたそうで、地域にはたった16軒の農家しかなかったそうです。

その農家16家族が神社を創立したと伝わります。

 

f:id:wave0131:20210913181614j:plain

 

その湿地帯にあった、

御朱印にも記されている「武州東葛西料領 道ヶ嶋」という小高い島に、

下総国一之宮 香取神宮」から「経津主命(ふつぬしのみこと)」が分祀されたそうです。

正確な創建年は分からず、1617年の再建と伝わるそうです。

 

f:id:wave0131:20210913181618j:plain

手水舎カメが水を吹き出しています。

f:id:wave0131:20210913181642j:plain

水出しは、ほとんどが龍の役目となっていますが、も悪くないですね。

ちなみに拝殿扁額に書かれていた宮司さんの名称は「亀井」さんでした。

 

f:id:wave0131:20210913181628j:plain

▼社殿は、当地の五分一という地に住む宮大工が10年の歳月を経て、1833年に完成させたそうです。f:id:wave0131:20210913181554j:plain

宮司亀井」さんの書による扁額は「間々井宮ままいのみや)」。

f:id:wave0131:20210913181550j:plain

▼「間々井」の説明。下総「国府台間々」との関連です。

f:id:wave0131:20210913181645j:plain

国府台間々」は現在の市川市真間」かもしれません。

江戸時代までの小松川は「真間」と「江戸」を結ぶ水路だったそうです。

そう言えば、市川市真間」には「真間井」と「亀井院」という寺もありました。

 

水路で繋がり、井戸や霊水で繋がっていた「真間」と「間々」だったのでしょう。

 

▼誰もが知っている葉野菜「小松菜」の由来。

f:id:wave0131:20210913181624j:plain

江戸野菜は練馬大根をはじめ、亀戸大根、千住ネギ、寺島ナスなど、当時は地域ごとに伝統的に栽培・生産されていた野菜ですが、

その名が全国区になっているのは「コマツナ」だけのように思います。

 

f:id:wave0131:20210913181621j:plain

1719年、徳川吉宗が鷹狩りでの食事に対して、

当時の神主が、すまし汁に青菜を彩りに添えたところ、吉宗はこの青菜を気に入り、

神社鎮座の地名から「小松菜」と命名したと伝わっています。

 

話は良くできていますが、小松菜と名付けられる前の青菜は何と呼ばれていたのでしょう。

おそらく単に地域の「なっぱ」だったのでしょう。

 

f:id:wave0131:20210913181639j:plain

いずれにしても全国の多くの人々が常に口にする「コマツナ」の名称が、

まさか、東京江戸川区小松川に由来するとは誰も気にしないはずです。

 

▼1692年、松尾芭蕉が詠んだ「秋に添うて 行かばや末は 小松川」という句。

f:id:wave0131:20210913181829j:plain

深川の庵から小名木川にそって秋景色をたずね、末は小松川まで行こうという意味だそうです。

f:id:wave0131:20210913181759j:plain

▼境内右手に境内社が並びます。「鷲神社」は大鳥神社と言われ、「新小岩のおとり様」とも呼ばれていて、11月の鳥の日にはやはり熊手が授与されるそうです。

f:id:wave0131:20210913181802j:plain

鳥居には「鷲神社」、社殿には「大鳥神社」の額が掲げられています。

f:id:wave0131:20210913181806j:plain

▼社殿内のおかめの面。

f:id:wave0131:20210913181809j:plain

▼その隣は猿田彦命を祀る「道祖神」。

f:id:wave0131:20210913181632j:plain

どの境内社にも丁寧なガイド版があります。

f:id:wave0131:20210913181635j:plain

▼さらに「稲荷神社」「水神社」が続いています。

f:id:wave0131:20210913181611j:plain

f:id:wave0131:20210913181823j:plain

f:id:wave0131:20210913181826j:plainf:id:wave0131:20210913181601j:plain

▼珍しい「鏝塚」も見えます。江戸川区左官同業者の発起による建立。

f:id:wave0131:20210913181607j:plain

▼「大雷神」は農耕に欠かせない雨をもたらす雷を敬い、参拝する対象だったのでしょう。

f:id:wave0131:20210913181604j:plain

▼境内の奥は吉宗の鷹狩りに小松菜のすまし汁を献上した、時の神主 亀井和泉守の屋敷跡になっています。f:id:wave0131:20210913181816j:plain

別名「小松菜屋」と表され、神社の左側に面した道路にその門があるそうですが、確認しそこないました。

▼「弓取神事」と宮司亀井悦造氏の像。

f:id:wave0131:20210913181812j:plain

▼2021年3月まで飼われていた神鹿は、役目を終えて天に帰ったそうです。

f:id:wave0131:20210913181819j:plain

神鹿の愛称は「ちびた」だったとか。

凛々しい鹿の姿と愛称の「ちびた」の組み合わせはピンときませんが、

「しかた」ないか!

 

小松菜の名称由来を知ることができ、見所も多く、記憶に残る神社でした。

 

wave2017.hatenablog.com

 

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村