▼熊野若王子神社の御朱印です。(京都府京都市左京区若王子町2)
「京 洛東 那智」の墨書きは、社伝によると
だそうです。
右下神社印の「城州」とは、どういう意味なのでしょう?
「現在の京都府南部の地」よ言う解説もありましたが
「南部」ではなさそうだし・・。
▼銀閣寺から歩き法然院を訪問して、大豊神社、熊野若王子神社へ向かう途中、そろそろお腹が空きました。
湯豆腐で有名な南禅寺にたどり着く前ですが構いません。
道すがらの湯豆腐屋さんに寄ります。
特におしゃれな店でもなく、山麓にあるしもた屋のような創りの店は、
ここが京都でなければ絶対成り立たない店構えですが、外観に風情だけはあります。
その風情とともに、たかが豆腐一丁が高価なメニューに化けるのは、
京都という観光都市のおかげでしょう。
▼店構えはどうってことはないものの、やはり豆腐を美味しく食べさせられました。
▼あっという間に、もう一切れしかありません。
南禅寺でなくとも美味しくいただけてしまう湯豆腐でした。
量的には少し物足りないくらいが京らしさかもしれません。
▼銀閣寺に向かうのであれば哲学の道の「起点」になる熊野若王子神社です。
もう一つの起点、紀州の熊野詣にあたり、
修験者は若王子神社で身を浄めてから出発したと伝わり、
熊野詣の京都の「起点」でもあったそうです。
紀州熊野三山は、和歌山の「本宮」「新宮」「那智」の三社を言います。
そしてここ熊野若王子神社を指すそうです。
何度も熊野詣をしたと伝わる、後白河法皇が
1160年に永観堂(禅林寺)の守護として建てられたと伝わっています。
熊野三山への参詣は平安時代には「蟻の熊野詣」と例えられるほど、
参詣者が途絶えることのない一大信仰ブームとなっています。
貴族階級を中心とした「蟻の熊野詣」だったのでしょうが、
距離、日数、費用がかかる熊野参詣は、上皇・法皇にしてもその負担は莫大なものであったに違いありません。
熊野への信仰のよりどころにできる神社を建立したのでしょう。
そういう意味では「洛中熊野三山」も
現在で見るところの「新四国」と同じような意味を持つように思われます。
最後に神社名の「若王子」は祭神の一柱である天照大神の別名「若一王子」に因むものだそうです。
武士は幼名から隠居してからの名前まで別名が山ほどありますが、神もいくつかの別名があり、とてもやっかいです。
名前でやっかいな事をひとつ思い出しました。
別名ではありませんが、諸外国の小説などで登場人物が多数の場合があります。
たくさんのカタカナの名前を覚えるのも容易ではないのに、
作中の人物が別の人物を呼ぶとき、名前を使ったり、苗字を使ったり、さらに「チャーリー」のように愛称で出てきたりします。
多数の登場人物 × 2 や × 3 になって、とてもやっかいです!
今回も神社とは全く関係のない締めくくりとなりました。