江戸時代は数多くの刑場がありました。
その中の「二大刑場」が鈴ヶ森刑場と、小塚原刑場。
小塚原・延命寺の地蔵さんは、2014年時点では11年の東日本大震災の影響で左腕が落下してしまったそうです。
その修復金寄付をお願いする案内板がありました。
あれから3年、お地蔵さんの腕は繋がったかしら?
「二大刑場」から一つ増えて「三大刑場」となると伝馬町牢屋敷が含まれるようです。
「二大・・」「三大・・」「十大・・」と、
何でもランキング付けが好きな国民が、後でランク付けしたのでしょうから、
当時はそんな呼称はなかったんでしょうねぇ。
そして「二大刑場」跡地にある寺の御朱印です。
▼豊國山 延命寺の御朱印。(浄土宗/東京都荒川区南千住)
▼鈴森山 大経寺の御朱印。(日蓮宗/東京都品川区南大井)
「首切地蔵」?!
昭和・平成の時代には、窓際に位置する机を与えられたサラリーマンには天敵のような名称の「首切り」。
延命・とげぬき・塩舐めなど、お地蔵さんは有難くも、さまざまな状況を身代わりになってくれます(はず、たしか?!)。
でも、この「首切りお地蔵さん」は他にあるのかしら? ここしか知らないわね!?
数多くあって欲しくない名前だけど、全国的にはアチコチにあるみたい。
江戸は当時、世界的にも最も治安の良い都市だったはず。
100万都市でも殺人事件なんて1年に一回も記録にない年もあったそうです。
それが鈴ヶ森と小塚原で30万人くらい処刑されたとか。
現在の豊島区のほぼ全員がクビチョンパになっちゃた勘定。どんな罪なのよ!
死刑廃止論もなかったその時代、不倫、駆け落ち、間男、みんな死罪ねっ!
そこのあなた!
気をつけなさいョ! タカをくくってられないわよ!!
▼江戸三大刑場の御朱印記事。