▼金刀比羅大鷲神社の御朱印です。(神奈川県横浜市南区真金町1-3)
▼金刀比羅と大鷲の二つが合体したような名称の神社の御朱印です。
神社印は上は「金刀比羅」下が「大鷲神社」となっています。
さみしくもやむを得ないことに、
▼授与所には月替り御朱印休止と、通常御朱印も書置きのみの案内が出ていました。
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▼神社へは市営地下鉄「阪東橋駅」から徒歩数分です。
と言っても本ブログの通常移動手段はクルマ。車を駐車場にとめて神社を目指します。
▼この先に神社が見えるはずですが、ひとつ通りを間違えました。
ここは真金町。1958年に売春防止法が施行される前までは「永真遊郭街」、いわゆる「赤線地帯」でした。
さらに通りを一つ移動すると
▼まだ眩しく高い太陽の下に神社が見えました。
なんども移転を繰り返してきた神社ですが、創建は横浜開港時の1859年。
当初は現在の横浜公園にあった「港崎遊郭(みよざきゆうかく)」の鎮守として讃岐の金毘羅大権現を祭祀されています。
▼現在は「横浜のお酉さま」と言ったらこの神社を指すそうです。
毎年11月には社頭に、明かりが灯った奉納提灯が万華鏡のごとく展開し、露店もたくさん出るそうですが、2020年はすべて中止されています。
神奈川県でも最大規模とされる「酉の市」は2021年には開催予定だそうです。
「金刀比羅神社」として創建された後、1872年港崎遊廓が高島町に移転した際、東京の吉原に倣い「お酉さま」が勧請され、末社として「大鷲神社」が創建されました。
そして浅草同様に「酉の市」が開かれるようになっています。
▼そのまま2つの神社名が一緒になった「金刀比羅大鷲神社」です。
▼社殿は「金比羅」さんと「お酉」さんが同居する相殿です。
正式には金刀比羅神社は「大物主命・崇徳天皇」、大鷲神社は「天之鳥船命」が祀られています
▼拝殿前のコロナ対策は、ステップ位置が貼られ、まるで地下鉄のホームのような様相です。
▼「すし塚」です。
▼この地出身の歌丸師匠が寿司職人に扮して「すし塚」解説しています。
▼社殿にしろ、授与所にしろ貼り紙が目立ちます。
▼「伏見稲荷」も貼り紙で案内されています。分かりやすいといえば、そうですが・・。
▼本殿と一体の稲荷社は金属フェンスで守られていて、中の様子はちょっと分かりにくい。
▼授与所に神社裏にのびる「横浜橋商店街map」が置いてありました。
題して「濱橋地図」。
このパンフ、歌丸師匠や金刀比羅大鷲神社も紹介されており、内容は問題なく良いのですがデザインは相当チープ。
「いきな下町 よこはまばし」にしては、使用されている書体も種類が多過ぎ、読みにくく残念です。
▼過去に2度ほど来ていますが、折角ですので商店街を少し歩いてみます。
皆さん感染症に対する自粛も、もう耐えられないように大勢の人が出ています。
もっとも地元民の利用要素の濃い商店街ですので、商店が休業されたり、また買い物客が訪れなくなったら、どちらも困ることになるでしょう。
▼商店街から左に直角に交わる路地は下町感マンパイ。
▼この暗いトンネルを抜けると神社前の通りに出ます。
元町商店街などオシャレな横浜のイメージとは、ちょっと違う下町ムードの横浜橋商店街を楽しく歩きながら、金刀比羅大鷲神社を参拝してみましょう。
感染症拡大が少し収まってからですが・・。
▼地下鉄で一つ隣の「吉野町駅」に近い神社です。