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情けないことに御朱印に関わる以前は◯金と言ったらコレ。
東京にチェーン展開している豚骨系スープのラーメン屋さんしか思いつきませんでした。
▼これは東京虎ノ門の金刀比羅神社。初めて目にした時は神社にあるまじきマークと感じました。
そもそも神社に社紋があることさえ知らなかった頃のこと、何かシックリこないイメージを抱いていました。
それが今じゃ、あちらこちらの金刀比羅神社を訪問し、そのつど丸金を見かけるからすっかり慣れました。と言うより自分の中で、金刀比羅神社を象徴するマークとして違和感はきれいサッパリなくなっています。
▼そして四国の総本社の◯金です。いや、似ているけど「金」と読め、というのが無理な話。こんな文字は見たことがありません。旧字でも異字体でもありません。文字の根拠も、いつからこんな文字が使われるようになったのかも まるで不明です。
全国にある金刀比羅神社ではこの文字は使われていないようです。本家独占のようです。
▼電車での訪問ではありませんでしたが、金刀比羅宮の2つある最寄り駅のうちJRの駅は「琴平駅」。
▼そして琴平山を登り始めます。本宮までは800段近くあるそうですが、概ねなだらかな階段が続きます。この程度の階段はラクショーです。老若男女、せっせと登ります。ラクショーですが、時期が真夏だったらどうでしょう?
きっとラクショーではなく「チクショー」と口から出るかもしれません。「こんぴらさん」と言うと、誰しも「石松の代参」を思い浮かべます。石松が登ったのもこんなに整備された階段だったのでしょうか?実在した人物かどうかもわかりませんが、石松が語られる時代は江戸時代末期。だとしたら、現在ほどではないものの、ソコソコの階段は造られていた事が予想できます。それにしてもワタシの知識は全ての名称が「こんぴらさん」一つでした。最寄り駅名が「琴平(ことひら)」、登る山が象頭山のうちの「琴平山」。「こんぴらさん」の「さん」は山なのか敬称なのか不明。寺の山号にもなりそうですが。神仏習合の明治以前はこの神社と同一視されてた象頭山 松尾寺が金毘羅大権現を祀っていたとか。
そしてこの神社の正式名称は「金刀比羅宮(ことひらぐう)」。
琴平、金比羅、金毘羅、金刀比羅、ややこしく全く使い分けできません。
無難に「こんぴらさん」が全てをカバーしてくれ、間違いありません。
▼600段ほど登ったところにリッパな「旭社」。詳細な事前知識持たず、ここがゴールかと勘違いしそうな見事な社殿にお参りして、ここで帰ったのでは「バカは死ななきゃ治らない 石松」と一緒になってしまいます。現実、この「旭社」にお参りして帰ってしまう人も少なくないかもしれません。もう少し頑張って「本宮」を目指します。
▼やっと「御本宮」。
夕方近くで危うく社務所が閉められてしまうところでした。
▼同じエリアに「三穂津姫社」「絵馬堂」が並びます。
▼「代参」は石松だけではありません。「犬の代参」も有名。「こんぴら狗」と呼ぶそうですが、財布を落としても、どの国より戻ってくる可能性の高い日本ならではの「犬の代参」話です。
▼階段を800段近く登ってきたゴホウビのような展望がひらけていました。遠方の山は讃岐富士でしょうか?
富山の「散居村」の展望と似ていなくもない光景は「こんぴらさん」からのオクリモノ!
時間的に奥社は諦め! 代参ではなくコーサンでした。
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実は忘れていたのですが、金刀比羅宮の御朱印は、とっくに記事にしていましたが、まぁ、リライトということで・・・。
▼富山の「散居村」はこの記事