▼常光山 源覚寺「蒟蒻閻魔」の切絵御朱印です。
(浄土宗/東京都文京区小石川2-23-14)
▼黄色い台紙がついていますので、それを外すとこんな感じになります。
切り絵はカッティングマシンなのか手作業によるものか判断つきません。
機械処理によるものとしても下絵は必要です。
そして1枚1枚しっかり墨書きされ、赤色に溶け込んでしまっていますが朱印もいくつか捺印されています。
「本堂改修費用」に加えさせていただきます、と断りがありましたが、これで800円ではその足しにするには少額のように思います。
1000円でも、1200円でも構わないような価値だと思います。
巷ではすべてが印刷かプリントの書置き御朱印が500円で授与されているのですから。
▼源覚寺「蒟蒻閻魔」の御朱印(2012年)。
蒟蒻閻魔の言い伝えにちなむ「慈悲の一眼」の添え書きがあります。
▼御朱印は授与所に丁寧な案内がありました。
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▼地下鉄「後楽園駅」や「春日駅」から千川通りを北に進みます。
▼千川通りは「こんにゃくえんま前」交差点からアーケードの「えんま通り商店街」が先に延びています。江戸時代から続く門前町です。
▼その交差点前に源覚寺の参道が開いています。
▼源覚寺の名称より「こんにゃくえんま」として通用する寺です。
▼山門がないのでうっかりすると通り過ぎてしまいそうです。
▼参道途中にある1852年製の古い「お百度石」は表面が剥がれてしまっています。
小石はお百度を数える目安で使われているのでしょうか?
▼参道正面が「閻魔堂」。この写真だけは七福神巡りの折の冬の撮影。
▼えんまさんに負けぬ形相です。
▼お供え物の「こんにゃく」を整理していらっしゃいました。
▼「眼病治癒」のご利益を願う人、感謝する参拝者が何と多い事でしょう。
「蒟蒻閻魔」言い伝えの老婆の好物という事ですが、コンニャクが大好きとしてNo.1にあげる人は少ないように思いますが、味噌おでんはイイですね。
余計な詮索ですが、こんなにたくさんのコンニャクの始末はどうされるんでしょう。
おでんや豚汁、けんちん汁にしたって消化しきれません。
高額な物ではないのでお供えしやすいと言うことでしょう。
それにしても何と種類の豊富な事。
▼読めません!「閻魔法王」とも言いますから「法王殿」でしょうか?
▼片目を老婆に与えた閻魔の説明がされています。
▼その優しい閻魔さんは堂の奥にいらっしゃいます。
鎌倉時代の運慶派の仏師によって彫られたと推定されています。
▼老婆に与えた一眼は右眼。割れて黄色く濁っているそうです。
コンニャク以外にたくさんのお酒が奉納されています。
コンニャクは閻魔さんの好物という訳ではないので、お酒が閻魔さんの好物?
▼閻魔堂には上がれないので、手前に写真があります。右眼は開いていません。
「こころ」や「にごりえ」に蒟蒻閻魔の描写があるそうですが、
「にごりえ」は近くの文京区西片を舞台としていますので、この部分かしら?
「あゝ今日は盆の十六日だ、お焔魔樣へのお參りに連れ立つて通る子供達の奇麗な着物きて小遣ひもらつて嬉しさうな顏してゆくは・・・」
一葉も極端な近眼だったそうですから、えんま様に詣でたかもしれません。
▼こちらは2体ある「塩地蔵」。
寺は1624年の創建とされていますが、創建以前からこの地にあったと伝わります。
地蔵さまの体に塩をつけて体の同じ部分の病気の治癒を祈願するものだそうです。
歯痛の治癒にもご利益ありとか。
目や歯の病に江戸時代にはそれなりの治療師はいたようですが、現在のような眼科や歯科などの医院はないので、一般の人は神仏にすがることが多かったのでしょう。
▼塩で埋もれてしまっているのか地蔵さんの姿が確認できません。
江戸時代から時は移って現在でも祈る人は多いのでしょう。
▼「毘沙門天堂」。
▼境内右手の庭はきれいに整備されていますが、夏は蚊にとっても居心地が良い場所のようです。
▼鐘楼だけで、戦火をくぐってきた梵鐘の撮影を忘れました。
▼1階が「本堂」のビルです。高い位置に寺名が見えます。
▼本尊の「阿弥陀三尊」像を失礼しました。
源覚寺はどのお堂も扉が開かれていて、オープンなスタイルに拍手です。
▼墓域は墓参以外進入できませんが、センスの光る造作になっていました。
今も昔も地元の方や、眼病などを患っている方々に愛される歴史を重ね続ける綺麗な寺でした。