▼北口本宮 富士浅間神社の御朱印。(山梨県富士吉田市上吉田)
▼御朱印は「大塚丘社」が増えて3社をいただけます。
北口本宮発祥の「大塚丘社」は本宮から距離にしてわずか3、400mくらいですが、今回は見逃して参拝していませんので、御朱印もパスでした。
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▼富士吉田市周辺には浅間神社が数多くあります。しかしここは「本宮」です。
もっとも「本宮」も、
富士宮市の「駿河国 富士山本宮浅間神社」や「東口本宮富士浅間神社」などがあり、
「本宮」だらけと言ってもいいくらいです。
「西口本宮」だけはありません。早いもの勝ちだと思いますが・・・。
時間をかけて今回記事を書いたのに、消えました。
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再びキーボドを叩くハメに・・。
以下、少し雑になりそうです。
▼参道から最初の金属製の鳥居を振り返りました。
人気の「箱根神社」ほどではないですが、参拝者はそこそこの数が見られました。
▼「大鳥居」は神社のHPに「日本最大木造鳥居」と説明があります。
しかし、もっと大きな鳥居を見ている気がしますが、木造ではなかったのでしょう。
▼大鳥居の扁額は「三国第一山」。河口浅間神社や新倉浅間神社と同じです。
「三国第一山」の「三国」とは、甲斐国や駿河国を表すものと思っていたら、違ったようです。
日本、唐土(中国)、天竺(インド)の3国を示すそうです。
江戸初期にはもはや「三国第一山」と呼ばれていたそうですからオドロキです。
各地の富士塚の鳥居にも「三国第一山」の文字が使用されている場合もあるようです。
▼「隋神門」は重要文化財にしてされています。
この後に続く手水舎や社殿なども文化財で、北口本宮の境内は重要文化財の宝庫のような様子です。
▼これは読めません! 調べたら「冨嶽」でした。
▼「櫛磐門戸之神(くしいわまどのかみ)」と「豊磐門戸之神(とよいわまどのかみ)」はどちらが、どちらか分かりません。
▼大鳥居→隋神門→神楽殿→拝殿→本殿と一直線です。
▼手水舎は密度が高い。
▼木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天孫彦火瓊瓊杵命(てんそんひこほのににぎのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)の3祭神にご挨拶です。
神社の起こりは110年と伝わりますので、弥生時代後期です。
もうほとんど神話の世界に近い時代です。
▼額縁の装飾が素晴らしい奉納額には「金壱百圓 深川元講」「明治四十貳年」などの文字が読めます。
明治では公務員の初任給がおおよそ8〜9円くらいだったそうなので、ほぼ公務員1年生の年収を奉納したようです。
当時の深川は景気が良かったのでしょう。
▼天然記念物に指定されている「夫婦桧」。
ほかにも「太郎杉」「次郎杉」など巨木、古木が大きな影をつくっています。
▼社殿の裏側に回ります。「神武天皇社」は質素。
▼本殿の真裏に「恵比寿社」。他社でも時々本殿の真裏で見かけます。
▼最奥にあるのが「富士登山道吉田口」。扁額は「富士山」となっています。
鳥居をくぐってこの「祖霊社」に登山の安全を祈って富士山頂を目指すのでしょう。
いくつもの境内社が並びます。
▼「下諏訪社」「子安社」が続いています。
▼ふたたび大鳥居の方へ戻って「稲荷社」「八幡社」にも参拝です。
世界遺産「富士山」構成資産の北口本宮は、ジックリ見るのには小一時間ほど必要のようです。
富士宮市の「駿河国 富士山本宮浅間神社」は明るい飛び跳ねたイメージを抱きますが、こちらの「北口本宮」はシットリ落ち着いた感じで、
2度目の参拝でしたが、百度は無理でも、あと2、3回訪問しても飽きない神社でした。