川崎大師の御朱印
「かわさきだいし」正式名称:金剛山 金乗院 平間寺「へいけんじ」/新義真言宗
(神奈川県川崎市川崎区大師町4-48)
▼川崎大師の御朱印です(風鈴市・大本堂/2022年)。
▼川崎大師の御朱印です(大本堂/2012年)。
▼川崎大師の御朱印です(風鈴市・薬師殿/2022年)。
▼川崎大師の御朱印です(薬師殿/2012年)。
▼川崎大師の御朱印です(風鈴市・不動堂/2022年)。
▼川崎大師の御朱印です(不動堂・関東三十六不動霊場 差替え御朱印/2012年)。
▼川崎大師の御朱印です(祈祷殿/2014年)。
▼川崎大師の御朱印帳。
▼2022年の御朱印案内です。
▼各お堂に参拝したら授与されます。
▼京急大師線「川崎大師」駅前から始まる表参道になる「厄除門」が建ちます。
京急「大師線」は、1899年(明治)川崎大師への参拝客輸送を目的に「大師電気鉄道」として開業しています。
京急電鉄では最古の路線で、電車による運行は関東で初めてのものだそうです。
▼案内図はコンパクトに描かれていますが、現実は広大な境内となっています。
境内の外周を回ると1km以上はあるでしょう。
▼車ですと、表参道の「厄除門」から160mほど先で右折して一通に入り、左手に見える「至真門」を入ると無料駐車場になります。
境内東になる「仲見世通り」「大山門」方面に回ってしまうと有料駐車場しかありません。
▼駐車場は「薬師殿」前になり、初詣などの繁忙期間中以外なら何時間駐めてもお構い無しでしょう。
▼その駐車場前の一風変わったインド風の建物「薬師殿」から参拝してみましょう。
この記事では写真を掲載していませんが「祈祷殿」も同様のインド風の建物になっています。そちらも駐車は無料となっています。
元はこちらが「祈祷殿」で、2006年に少し離れた大師河原に新しい祈祷殿ができたことから「薬師殿」とされました。
薬師如来の御朱印はこちらでいただきます。撮影も全て可でした。
▼「薬師殿」ですので、いらっしゃるのは当然「薬師如来」。
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」を唱えます。
▼日本国民は撫でることが好きですので、撫でられるお薬師さまも登場です。
▼インド風の建物に負けず劣らずハデハデな十二神将たちです。
川崎大師の中で、ここだけ外観から内部まで完璧な異空間です。
表参道の方へ向かい改めてスタートです。
▼「川崎大師駅」から徒歩で表参道に進むと、途中でUターンする形で「仲見世通り」になります。
▼ダルマは当たり前ですが「せき止め飴」をリズミカルに切る音を「トントコ、トントコ」と響かせるのが名物でしたが・・・
「景気封じ飴」や「ボケ封じ飴」などが現れ、さらに
▼昨今では、食べ歩きのグルメが幅を利かしているようです。
▼「仲見世通り」を振り返った写真ですが、通りは山門までの短い商店街です。
夏のこの時期は空に風鈴が泳いでいます。
▼仲見世通りの先に「大山門」です。
▼「平間寺」と言っても、関東人でも98%の人は「???」です。
「ひらまでら」ではありません「へいけんじ」と読みます。
正式名称より圧倒的に通称の「川崎大師」で通っています。
いや「川崎大師」でしか通じません。
▼確かにデカい「大山門」です。
川崎大師には「大」の文字が使用される堂宇が3つ。
ここ「大山門」と「大本堂」「大本坊」です。
▼大山門に吊るされた「魚がし」の文字が書かれた提灯。
提灯の底になる「下輪」部分に秘密の多い提灯です。
参拝時には刻まれたマークを確認し、また底から見上げてみましょう。
他でも見た記憶がよみがえるかもしれません。
▼山門をくぐると圧倒的な迫力で「大本堂」が待ち構えるように見えてきます。
▼言うまでもなく普段でも参拝者は絶えません。
▼扁額の文字は「厄除 遍照殿」でしょう。
▼風鈴が飾られています。
川崎大師の「風鈴市」は、毎年7月から8月初旬までの開催で各種イベントも盛り沢山。
▼「第一区」「第二区 筒先中」などの文字がある提灯らしき奉納物?
江戸時代から伝わる火消し、消防関連の組織や言葉は難しい!
▼大本堂から大山門を振り返りました。
川崎大師の建立は1128年。
尊賢(そんけん)を開山、平間兼乗(ひらまかねのり)を開基とされています。
その「平間」の文字をとって「平間寺」とされているのでしょう。
そして初詣客の数は300万人前後で、明治神宮、成田山新勝寺に次ぐ多さです。
▼境内東側にもう一つの大きな門は「不動門」。
▼「不動門」内側です。
▼「不動門」をくぐると左手に「鐘楼堂」です。
▼そして真っ直ぐに伸びる参道の先は「不動堂」。
「不動堂」は明治に入ってから創建されています。
建物自体は他のほとんどの建物同様、昭和の戦後に入ってからの建立です。
話は前後して不動堂の話ではないのですが、
開基の元武士であった平間兼乗は、この地で漁猟を生業として、ある時、海中へ網を投げ入れたところ弘法大師の木像を引き揚げました。
平間は木像を洗い清め花を捧げて供養し、やがて近くに小堂を構えたとされています。
川や海から菩薩などの仏像を引き上げるという似たような伝承は多く耳目にします。
当時は川、海にどれだけの仏像が流れたり、沈んだりしていたことか不思議に感じますが、泉から、地面から、山から現れた仏像もありますので、仏たちはどこからでも衆生を救うために現れるものだと理解しましょう。
▼不動堂の右隣は「稲荷堂」です。神社なら「稲荷社」となります。
▼「福徳稲荷」と記されています。全国に数多ある稲荷の中で「福徳」も数多。
▼「立春大吉」の文字も見つかりました。
▼大山門近くの「聖徳太子堂」。堂宇の紹介が順不同になりました。
▼こちらは「経蔵」です。
「経蔵」は平成になって建立されています。
▼内部は「飛天」たちが、lおおらかに飛び回っています。
▼「六字名号塔」という説明板がありますが、よく分からず・・・
▼中を覗いてみても、やはり分かりません。Mapの「中書院」?
▼全く順不同になりましたが「信徒会館」も七夕飾り。
▼そして寺務所でもある「大本坊」の建物。
昭和59年に弘法大師1150年御遠忌を記念して落慶されたそうです。
▼撮影は「ピサの斜塔」状態ですが・・・
▼現実の塔は垂直です。
恵果和上像、弘法大師像、興教大師像、金剛界五智如来像などが奉安されているそうです。
▼「新四国八十八所」は修行大師と「同行二人」です。
▼「朝霧の雫するなり大師堂」は正岡子規の句碑。このほか碑蹟だらけです。
▼虚子の句碑は「金色の涼しき法の光かな」。
▼「まり塚」は、曲芸に使われた「まり」などの道具が供養されているそうです。
▼「茶筅塚」。何でもありの、何にでも敬う心の塚。
▼「ちち ははのしきりに恋し雉の声」と刻まれているのは芭蕉の句碑。
▼「これより弘法大師への道」大師河原にあった道標のようです。
▼「祈りと平和の像」は文化勲章受章者、円鍔勝三の作品だそうです。
2022年、平和は当たり前でなく、脆く崩れやすいからこそ、日々毎日その存続に努力しなければならない事を知った人も多いかも・・。
▼近年造成された「やすらぎ」ゾーンです。
▼東屋に「やすらぎ橋」。鳩たちもやすらぎたいのです。
▼橋の欄干には梵字が・・。
▼鶴たちが放つ噴水。何故か水や噴水を目にして腹をたてる人はいません。
山川草木、そして海。日本人が当たり前に目にしてきたものですが、今や危うし!?
▼そんな日本を救えるのは、かつての横綱「北の湖」ではなく・・・
▼やはり観音菩薩かもしれません・・・。
▼そんな日本と参拝者を心配そうに見守っているのは「釈尊」。
▼釈迦は自らを光り輝かせ、人々に注目させ、人々を導いていくのかもしれません。
▼最近大きな寺院では必ずと言っていいほど設けられている「お砂踏み」。
▼ここは百観音ですので「坂東」のほかに「西国」「秩父」もあります。
「関東三大本山」「関東厄除け三大師」などにも数えられる川崎大師は、
地理的な条件の良さもあって、西新井大師、玉川大師、拝島大師などと比べ、
圧倒的に人気があります。
仲見世通りはいつ訪れても賑わっていて楽しい事町がありません。