最初は2014年に訪問しています。
しかし。夕方近くだったせいもあるのか 参拝者の姿は見えず、御朱印があるのかも知れない社務所も閉まっていました。
陽が落ち始めた時間だったからなのか
厳かな雰囲気、特に本殿周りのいくつかの境内社には決定的な空気感の違いを感じました。
そして6年ぶりの訪問でいただいた「してやったり」の快感御朱印です。
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▼河口湖畔から旧御坂道を少し新御坂トンネル方面へ進むと神社入口があります。
逆に甲府側から車で来ると、かつての旧鎌倉街道の御坂峠を越えます。
太宰治の「富嶽百景」に描かれていて、峠には太宰が逗留した「天下茶屋」が今も残っています。
もっともこの話は旧道を走った場合で、今は味気ない長いトンネルを抜けることになります。
▼2013年に世界文化遺産の構成資産に登録されているはずですが、2014年の訪問ではこのカンバンはまだ無かったような、もしくは気づきませんでした。
▼額には「三国第一山」、だと思いますが、前回訪問時から新しくなったようです。
神社名の読みは「せんげん」ではなく「かわぐち あさま じんじゃ」だそうです。
登録法人名は単に「あさま じんじゃ」です。
▼大きな鳥居をくぐると左右の間隔が狭い巨木の杉並木の参道が延びています。
▼杉並木は800年の歳月を経てきたそうです。
参道中央にある小さな祠は「波多志社」。
▲「手水舎」から ▼「隋神門」へと続きます。
神社の鎮座する河口湖の東北にある湖畔の集落 河口は、湖の南にある「河口湖駅」周辺の街に比較すると遥かに静かです。
民家のほとんども旧御坂道沿にあるだけで、まさに集落という様子ですが、
かつては神社前に「河口御師の町」として宿坊も100軒以上あったそうです。
そして当時はここの神社を起点として多くの人々が富士登拝を目指したのでしょう。
しかし、江戸時代に入り富士講の盛んな江戸からの参拝者を受け入れる
「吉田口の御師」が開かれ、その繁栄とともに「河口御師の町」は衰退していきます。
現在、吉田口と違って、河口で当時の痕跡を見つけるのは難しいようです。
そして町も神社も忘れられたような存在になったはずです。
神社から近い湖畔の「もみじ回廊」が紅葉で有名になっても、
ついでにこの神社を訪れる観光客は少なかったのでしょう。
今でこそ知れ渡った世界文化遺産ですので、
今回の訪問では、かなりの数の参拝者が見受けられましたが、
2014年に初めて訪れた時は、まだその忘れられたような存在の密かな息遣いが感じられました。
もちろん個人的な感想ながら、今も
北口本宮や富士山本宮、東口本宮などと比べると、人跡の数が少ない分だけ観光的な匂い、人間的な匂いはかなり少なく、神の匂いの強い神社です。
幸か不幸か、衰退した「御師の町」だからこそ古社の雰囲気をそのまま素朴に残している箇所が多いように思います。
大きな被害をもたらした貞観年間の富士山の活発な火山活動を鎮めるため、
それまで静岡にあった浅間神社、現在の「富士山本宮浅間神社」に次いで建立された神社とされています。
歴史を持つ「延喜式 名神大社」としては確定されていないようですが、その論議がされる1200年の歴史だけは確かのようです。
▼合祀社をはじめ、本殿の裏山に斜面に展開する境内社を見て回ります。
▼諏訪社。(だったと思います)
▼扁額の通り「出雲社」。
これらの境内社が建ち並ぶ緩い斜面は少し手入れが行き届かない、と言った感じですが、それだけに「昔日のまま」感が窺えてとってもいい雰囲気です。
▼「山神社」。
▼そして天然記念物の「七本杉」の古木は高さが50m近くあり、文字通り1号から7号まで7本にそれぞれ名前が付けられています。。
社殿前はどこも程よい手入れがされています。
この神社にこれ以上の「整備」は必要ないように勝手に思います。
参拝者、観光客を慮ってのモノ・設備を整え過ぎると、神社の素朴さは反比例して失われていきます。
世界遺産を担う役目と神社経営という現実があるのを無視してるわけではありません。
しかし、そこのところを素朴な古社として永くウマく維持できるよう願うばかりです。
▼ここを出ると「山宮」から「天空の鳥居」さらに「母の白滝神社」へ向かう山道が続きます。
▼30分も登れば2つの見所に到達できるそうなので、健脚の方は歩きましょう!
▼「天空の鳥居」が待っています。(前回記事)