2020年現在では、6年前の御朱印になります。
「昔」いただいた御朱印です。
されど、6年前が「昔」かどうかは
人が生きてきた時間により判断が左右されるかもしれません。
この世に生を受け、まだ10年しか経過してない小学4年生の6年前は「大昔」でしょう。
60歳を過ぎた高齢者の方々にとっての6年前は、きっと「ついこの間の事」でしょう。
竹内まりやの楽曲「駅」では
昔 愛してた あの人なのね
と歌っていますが、
二年の時が 変えたものは
と続き、2年前が「昔」にされています。
「駅」の曲はマリヤの夫タツローの影響の大きいと思いますが、
歌詞ですので「過去」「ちょっと前」「ついこの間の事」では
詩ににならないのでしょう。
歌詞とはいえ、その世界にいたら6年前は「大昔」になるでしょう。
でも、80歳のおばぁちゃんに言わせれば「あぁ、昨日のことねぇ!」と言うでしょう。
きっと・・・。
ということで「大昔」でもあり「ちょっと前」でもある
6年前にいただいた御朱印記事です。
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▼春日大社は地図で示すまでもなく、誰もが知っている鎮座地です。
▼しかし、手向山神社との位置関係を知る上では地図は便利です。
▼神の使いでもある鹿たちにとって、ここ奈良公園から若草山の麓に延びる地域と、
宮島の厳島神社周辺は日本の二大パラダイスでしょう。
それにしても「昔」から鹿の数はこんなに多かったのでしょうか?
厳島の鹿たちなんて急激に増えたように感じないでもありません。
詳細は分かりませんが、鹿は草食系だから、きっとどちらも敷地内の若草を食み、
さらに内外の観光客が与えてくれる、おいしい「しかせんべい」の二つを主食としているのでしょう。
バンビは人間に愛され、もともと大人しい性格の彼女らですが、
進化論が正しく証明されるが如く「しかせんべい」を要求する姿が先鋭化されます。
奈良公園に生える草より「しかせんべい」のほうが美味しいのか、手っ取り早いのか、ほぼ満たされた彼、彼女らは満足げにタムロします。
▼奈良公園では鹿以外にもエサを求めて「たむろ」するのは人間です。
▼腹がくちくなれば、彼らは別な場所に移動して、その場所はカラッポになります。
鹿たちの行動と大きな違いはありません。
▼人を理解している「使い」は、神だけではなく、やっかいな人間たちをも疎まず
「使い」の役目を果たすように神社へ案内してくれます。
2020年、そんな鹿たちはどうしているのでしょう?
「しかせんべい」など無くとも、美味しい草を見つけているのでしょうか?
鹿たちはきっと、人間たちが騒ぐ感染症なぞ知ったことじゃありません。
「しかせんべい」など無い環境のなかでも生きてゆけます。
(シカ)
そもそも初めから「しかせんべい」など、大きなお世話なんです。
ワタシたちが求めたエサではありません。
(シカ)
人間のグローバルな経済活動に始まり「観光立国ニッポン」のお題目が、
ワタシたち鹿族を勉強させました。
優しくすり寄れば「しかせんべい」にありつける!
(シカ)
ワタシたち鹿を笑ってはいけません。
人間も優しく すり寄れば経済援助が得られると、
新興国家は「神の使い」を手本としています。
「しかせんべい」は麻薬かもしれません。
薬物の乱用は、きっと良い結果をもたらしません。
薬物の影響を、鹿も人も、もっともっと理解を深めなければならないのでしょう!
人と鹿、いや全ての生き物たちの安寧を「春日神」に祈ります。
ジタバタする人間を尻目に、神の使いたちは達観しています。
願掛けも願い事もしません。
欲は少なく、生きる糧さえあれば、ほかに多くの「余計」を欲しがりません。
▼我を顧みず、欲望を神に託すのは、鹿たちよりオロカな人間だけかもしれません。
余計な言葉ばかり並べて、どの写真が大社で、手向山なのか分かりません。
▼この写真だけは「手向山八幡宮」なことは確か。
奈良公園を知り尽くしているシカたちに比べ、
数度しか訪れていない人間はイチイチ覚えていられません。
やはり6年前は「大昔」のようです。