▼烏森神社の御朱印です。(東京都港区新橋2-15-5)
言うまでもなく、神社の読みは「とりもり」ではありません!
「からすもり じんじゃ」です。
「烏」「鴉」「鵶」「雅」のどれも「からす」と読みます。
どのように違う「カラス」か分かりません。
▼2021年にいただいた御朱印は「富貴繁栄祈念」でした。
御朱印は「三 九 五」の日付以外はコンプリートプリント。
▼あまり手間がかかっていない500円の御朱印には、直径2cmのクッションシール付き。
「止疫息災」の文字もありますので、スマホの裏にでも貼りましょう。
聞いた言葉ではないですが「無病息災」と同じような意味で「疫病を止め」て「息災」でありたい祈りと願いが込められていると理解します。
▼2012年当時は、これほどカラフルな御朱印は他に無く、とても話題になりヒートしていました。
しかし、それからもう10年近くなります。
2021年の今、このカラフル度は、昨今のキラキラ御朱印、イラスト御朱印コレクターの中では沈没しています。
いや、言葉を間違えました。「沈没」「埋没」ではなく、しっかり生きています。
きっと、変わらぬ御朱印スタイルで「落ち着き」を得たという事でしょう。
当時、2012年以後の烏森神社の御朱印を求める参拝者は、
まるでバブル期の「ジュリアナ東京」かと思われるほどの女子たちの狂乱ぶりが喧伝されていました。
90年頃までのバブル期の女たちが扇いだ「ジュリ扇」は、
2010年以降の女子たちが扇ぐ「朱印帳」に変わりました。
すべてに恵まれ、露出度をエスカレートさせ「お立ち台」に立っていた女子とは、
外見は全く逆のように見える境内の「祈り台」に立つ女子たちですが、
その表現方法が違うだけで願いや、目指す方向は大きく変わらないのかもしれません。
いや、やはり当時の女子は金銭欲や縁結び欲に、もう少し淡白だったようです。
▼コロナ下での「落ち着き」でしょうか、社殿左脇の通路にある授与所で待つ人はいませんでした。
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▼烏森神社は新橋駅の「ほぼ駅前」と言えるような位置に鎮座です。
新橋駅はJRだけで「西口」「日比谷口」「烏森口」「銀座口」「汐留口」と言うように出口だらけで、さらに地下鉄の出口、「ゆりかもめ」の出口などと入り乱れています。
▼ここは西側にある「日比谷口」。
▼出口前は「SL広場」と言う名称になっていて、TVなどで酔っ払いのオジさんたちがインタビュアー相手にサラリーマンの代表として好き勝手を話す、格好の街頭インタビューの場所としても有名です。
▼新橋はご存知、鉄道発祥の地。このSLは、1972年に鉄道開業100周年を記念して設置されています。
「C11形蒸気機関車」というそうで、現役時代は関東ではなく中国地方で活躍していたそうです。
▼さらに左を見ると「NEW しんばしビル」。決して「ニュー」ではなく1972年に開所した半世紀前の商業ビルです。
「NEW しんばしビル」は、後ほど探検して見ることにしましょう。
「烏森神社」は、ほぼ駅前に鎮座と前述しましたが、ここまででは神社の姿はまったく見えません。いったい駅前のどこにあるのでしう?
▼「ニューしんばしビル」の南側にある「烏森通り」です。
▼「烏森通り」を西に進みます。ここに神社の入り口がようやく見えています。
▼「烏森通り」の神社入口前から新橋駅方面。
▼同じく虎ノ門方面。
▼「烏森通り」から北に入るこのせせこましい路地が神社入口です。
▼路地ですが立派に参道です。微妙な形の鳥居らしきものが建ちます。
▼以前はこの参道途中の建物で御朱印の書き上がるのを待つようになっていました。
▼参道途中の横道は飲屋街の裏道になっています。
▼社殿前を横切る路地もこんな様子です。
もともとこの地は「新橋南地花街」または「烏森花街」として栄えていましたが、
1960年代には花街としては終焉しています。
そこに飲屋街が形成されたのでしょう。
▼振り返った参道途中にも飲食店があります。
▼と言うように、とんでもない場所に鎮座する駅前神社は社叢もなく、ビルの谷間ですので見つけにくいのですが、初訪問でも今やスマホが案内してくれることでしょう。
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)・天鈿女命(あめのうづめのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)を祭神とする烏森神社の創建は古く、
社伝によれば平安時代中期の将門の乱の頃ですので、千年以上前という事になります。
実はここ烏森神社は、地理的にはいつでも訪問できる位置にあるのに、いただいている御朱印の日付通りに9年ぶりの参拝。
御朱印を最初にいただいたのが2012年。
その後、カラフルな御朱印であることと限定御朱印の授与で、ネットなのでは常に喧しい雰囲気の神社でしたので脚が遠のいていました。
今回の訪問ではそんなイメージは一掃されていました。
▼「錦の御旗」のような2本の旗は、御朱印に添え書きされていた「富貴繁栄祈念」と、シールにも使われていた「止疫息災」の文字がとともに鮮やかです。
社殿の造りは六本木の「出雲大社東京分祀」を連想させられます。
▼「富貴」とは wiki によると「金持ち、かつ地位や身分が高いこと」だそうです。
「富貴」は縁起の良い言葉なので飲食店などの店名に多く使用されています。
日本酒の名称にも使われています。
参拝に来る方全員が「富貴繁栄」「長命富貴」となれば良いのですが・・。
▼冒頭にも掲げた写真ですが、9年ぶりの訪問で新しく整備された通路のようです。
▼通路の正面はお休み処。
こんな綺麗なお休み処が他にももう1ヶ所ありました。
▼ここで限定御朱印の出来上がるのを多くの参拝者が待っていたのでしょう。
かなり「密」になりそうですが、今回はカラッポでした。
神社を出て「サラリーマンの聖地」新橋をブラつきましょう。
▼東京都心部のガード下はほとんどオシャレになっていますが、新橋にはまだこんなレトロな店舗も残っています。
▼競馬中継の街頭モニターは、やはり新橋ならではのものかもしれません。
▼「HUB」にそっくりのカラーとロゴ。系列店なのでしょうか?
▼さて、冒頭にも掲げた問題の「NEW しんばしビル」です。
一等地の駅前にデ〜〜ンです。
地上11階・地下4階という雑居ビルは、1971年OPENというから丁度半世紀。
▼1F入口のサイン文字だけ今日的なデザインになっています。
元々は戦後の巨大なヤミ市場から始まって、そのヤミ店舗の整理のためもあって建てられたビルです。
とはいえ、オープン当初は現在の「ヒカリエ」「ルミネ」「パルコ」だったのでしょうし、その後も近隣で働くサラリーマンのオアシス的存在だったようです。
商業施設としては地下1階から4階まで。
地下には小さめの居酒屋・飲食店がカオスを作っています。
平日の夜はそれなりに賑わいを見せているのでしょうが、しかし、この日は日曜。
さすがサラリーマンの街ですし、コロナの影響かシャッターを降ろしてる店が多い。
それ以外は1Fの「洋服の青山」がめぼしい店くらいで、
あとはレトロなゲームセンター、宝くじ売り場、さらにチケットショップが4、5店舗あるだけで、決して駅前を通りすがる若者たちが多く立ち寄るようなビルではありません。
外は多くの人が行き交うのにビル内に入ろうとする人はいません。
そして2階に何より多いのが怪しげな雰囲気の中国・台湾系のマッサージ店。
ここは日曜でも「癒し」「整体」「指圧」「リラックス」などという文字が飛び交っています。「黄金の指」なんていう店舗名もあり、異様なムードを醸し出しています。
▼そんな店の多くは店舗の前に女性が椅子に腰掛けていて、近寄ると必ず「マッサージ イカガですか?」と声をかけられます。
「いかがですか?」のトーンがいかがわしいので、初めから目的でない人は戸惑います。というより、この先に進まないでしょう。
まぁ、どの店も街中にある整体院とは違うマッサージの提供が売りかもしれません。
▼3Fから4Fへ至る階段の踊り場の案内ボードはカラッポです。
▼日曜の午後、3〜4階の風景です。
通路は天井も低く、とても新橋駅前ビルの日曜の午後とは思えない空気が流れています。
▼地下への案内は「憩いの地下街」。ショーワのまんまです。
▼「憩いの地下」は間口も狭い店がほとんどですが、居酒屋・飲食店はほとんどシャッターが降りています。
やはりコロナの影響かもしれません。小さな個人店は、休業して1日4〜60,000円の支援金を手にした方が有利でしょうから。
烏森神社のお膝元のこのビル内の店舗が「止疫息災」により「富貴繁栄」となるにはもう少し時間が必要なようです。