十二社の読みは「じゅうにそう」です。
ほとんどの人は正確には読めません。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼昔この街に住んでいた時期がありました。
ニョキニョキと建ち増える高層ビルは一段と勢いを増したようです。
▼西新宿5丁目は幹線道路から一歩入ると民家やアパートが密集し、細い道路は入り組んでいます。
▼人のすれ違いもやっとの路地に民家の玄関があります。
▼数年前まではあった、こんな微妙にカーブする商店街のほとんどの店舗が今では消えています。
▼「けやき橋通り商店街」も消えました。
現在では電柱のない綺麗な明るい広い通りになって、
「旧けやき橋通り商店街の碑」が立っています。
銭湯が消えました。
床屋が消えました。
街中華が消えました。
喫茶店が消えました。
スナックが消えました。
小さなバーも消えました。
十二社温泉も消えました。
再開発により消えて、消えて、さらに消えていく街並みなのでしょう。
笑った、泣いた、喜んだ、悔しんだ がいっぱい詰まった街ですが、
溢れる思い出だけは消えません。
時代を遡れば消えたものはもっと多くあります。
▼江戸時代の十二社には大小の池が2つあり、さらに滝まであり遊興地でしたが埋め立てで消えました。
池もないのに、バス停は「十二社池の下」という名称になっています。
明治から昭和までには淀橋浄水場がありましたが、消えて高層ビル群になり、公園になりました。
さらに十二社は戦前まで花街でもありました。
最盛期には茶屋や料亭が100軒ほどあったそうです。
神社から「十二社通り」を挟んだ西側になる西新宿4丁目は、
そんな花街の名残りのような旅館や小さなホテルがついこの間までありましたが、
消えました、すべて消えました。
消えて変わっていく街の中で神社だけは消えません、大きな変化もありません。
▼2008年の熊野神社拝殿。
▼08年、12年に続いて2019年の訪問です。
神社近くの交差点は「熊野神社前」。
「十二社池の下」のバス停から新宿駅までは、昔いつも利用していた経路でした。
どこの神社も同じですが、境内に入るルートはいくつもあります。
▼「熊野神社前」の交差点にある交番の裏坂から神社に入るのは裏参道です。
▼裏参道ですので木の間に本殿が見えます。
▼裏参道から境内に入る門ですが、表参道の方へ向かいます。
▼表参道から進むと現れる鳥居。
雨模様の境内に参拝者はマバラです。
創建は室町時代、熊野三山から十二所権現を祀ったことにちなみ「十二社」と呼ばれるようになったそうです。
▼境内西側にある鳥居脇の階段を降りると十二社通りに出ます。
▼十二社通り沿いにあるこちらが表参道です。
20〜21世紀にかけて周辺が最も大きく変化した東京の神社の一つです。