▼金剛山 常楽寺の御朱印です。(天台宗/長野県上田市別所温泉2347)
「妙観察智弥陀如来」は、いったいどのように読むの?
「みょうかん さっち みだにょらい」では低脳マルダシです。
でも他に読みようもなく「めうくわん ざつちの みだにょらい」が正解のようです。
意味は全く分かりませんが、使われている文字で何とはナシに理解できる気もします。
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上田駅と別所温泉を繋ぐ11.6kmの「上田電鉄別所線」は、2019年の台風19号による千曲川の大暴れにより赤い「千曲川橋梁」が崩落。
その1年5ヶ月後に、やっと橋梁が復旧され全線運転が再開されています。
年間約130万人が利用されていたそうですので、多くの人々が1年5ヶ月の日々に不便を強いられていたことになります。
その別所線沿線の「塩田平」は、よく「信州の鎌倉」と言われます。
▼その最西端にある別所温泉の街も「北向観音」をはじめ寺社が点在します。
鎌倉にあやかっての「信州の鎌倉」でしょうが、
逆に鎌倉を「相州の上田」と言わしめるには無理があるのでしょうか?
小京都とか、小江戸、何々銀座と同じで、名付けた時点で「本店」に負けてます。
まぁ、本店があまりにも有名なので「あやかり」「依存」も致し方ないのすが、
鎌倉の名を借りなくとも、十分に独り立ちできる魅力を持った「上田・別所」だと思います。
谷間に広がる別所温泉の周囲は山です。常楽寺も背後に山を背負っています。
▼そして、この文字が彫られた寺は「禅寺」です。
「不許葷酒入山門」の石柱は、常楽寺に向かう途中の「安楽寺」のものでした。
▼常楽寺は天台宗ですので「一隅を照らす」ですが、ここには見当たりません。
常楽寺は天台宗の別格本山で、北向観音の本坊にあたるそうです。
「本坊」は「子院」に対する「本院」を指します。
▼石段を上がると松の枝ぶりと茅葺き屋根が、どちらも大きく驚かされます。
寺伝によれば、常楽寺は北向観音堂が建立された平安時代初期の825年、安楽寺、長楽寺と並ぶ三楽寺の一つとして建立されたそうです。
この地は、かつて鎌倉北条氏の一門が拠点として栄えたことから、鎌倉時代から室町時代にかけての中世の文化財などが多く集まり、残されてもいるそうです。
また神奈川県の金沢文庫によると、称名寺の僧が正応5年(1292年)に常楽寺で写経をしたという記録があるそうです。
▼本堂前の「御船の松(みふねのまつ)」は、樹齢350年ほどと言われています。
▼少し離れて眺めまると、宝船の形にみえてきて、この宝船で阿弥陀様が極楽浄土へとお連れくださるとか。
▼本堂の裏の山に向かう道を登ると重文の「常楽寺石造多宝塔」があります。
鎌倉時代の造りとみられる多宝塔の銘文には「天長二年、火焔の中から北向観音がこの地に出現」とあるそうです。
きっと修行中の観音菩薩は、古代から存在していた別所温泉の湯に入りたくて現れたに違いありません。
悟りを求めて修行する菩薩は常に疲れも覚えてるはずですから、
別所温泉に浸り癒し、再び世の人々を救うべく修行の道を歩み始めたのでしょう。
と、勝手な解釈をすることにします。
▼近辺には小さな仏たちが観音様を慕って集まっていました。
▼常楽寺の裏山をうろうろしていると、この鳥居と社殿らしきものが。
とっても風情を感じるけしきですが、どうやら近くの「別所神社」に関連のある社のようでした。
本尊の「妙観察智如来」が、別所温泉を静かに見守るかのような常楽寺でした。