▼東叡山 浄名院 通称「へちま寺」の御朱印です。
(天台宗/東京都台東区上野桜木2-6-4)御朱印は書置きで日付もありませんが、きちんと墨書き朱印されたものです。
▼2019年は、本堂内に4種類の見開き御朱印が置かれていました。
2012年頃は単ページの御朱印が、やはり4種類置かれていました。
墨書きと朱印だけのものから、仏像や山門のイラストなどを入れた見開きになっていますし、イラストはプリントで仕方ありませんが、
1枚1枚きちんと筆書きと朱印されたものですので、
寺側の御朱印へのサービス精神はあるものと理解できます。
さらに、せめて年号と月だけでも入っているとウレシーのですが・・。
御朱印収集者にとって参拝記念としての「日付」はかなり大事なものです。
さらにさらに、魅力的な達筆なのでご住職に時間がる時は直書きいただければ・・。
そこまで望むのは欲張りでしょうか?
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▼JR「鶯谷駅」が最寄りになりますが、浄名院だけを目指す人は少ないでしょう。
その「寛永寺根本中堂」の隣的位置にありますので、
上野公園で御朱印をいただける寺社を巡り、最後に「根本中堂」を訪問し、
そして「根本中堂」のほぼ裏手になる「浄名院」を訪れるというようなルートになるでしょう。
▼「寛永寺根本中堂」の山門前の道を北に突き当たると、そこは「言問通り」。
浄名院はその片道1車線の「言問通り」沿いに一段低く山門を構えます。
▼「言問通り」を右に回り込むと左手には「谷中霊園」に続く桜並木が長く深く延びています。春には花見客が大勢訪れます。
その桜並木沿いにも寺の入り口はあります。
近隣は「谷中七福神」の寺が点在しますが、七福神だけ最短距離で巡っていると浄明院からは外れるルートになるでしょう。
▼山門に戻ります。
門前の大きな石碑は「八萬四千體 地蔵尊安置」と刻まれています。
門左脇には「摂僧大界」と刻まれた石柱。結界を表すようです。
▼こちらはいつもの「不許葷酒入山門」と思いきや
「不許葷酒入門内」とあり、少し違いました。
「摂僧大界」「不許葷酒入門内」の2つの言葉は、ここからは「寺域・仏域ですよ!」という注意喚起です。
寺の開山は1666年。
当初は四代将軍 徳川家綱の母 宝樹院の菩堤所で「浄円院」と呼ばれていたそうです。
いただいた御朱印で「へちま地蔵尊」とされているように、通称「へちま寺」としても知られています。
喘息治癒の功徳があるとされる「へちま供養」が毎年夏に執り行われ、当日は多くの参詣者が訪れるそうです。
しかし「へちま地蔵尊」は写真を撮り忘れました。
▼御朱印が置かれている「本堂」は新しい造りのコンクリート製。
▼「地蔵堂」も比較的新しい建物なのでしょう。
それにしてもこの寺はとても開放的なイメージを抱かさられます。
山門ともう一つの入り口も常にオープンで、本堂・地蔵堂も開かれています。
また、圧迫感のある建物や木もありません。
さらに「言問通り」から一段低い位置にあるので、境内は丸見え的な様相です。
▼「江戸六地蔵」の六番地蔵も邪魔されるものがなく開放的です。
もっとも「江戸六地蔵」の六番については、本来は門前仲町の「永代寺」ですが、
「永代寺」に地蔵尊像は現存していないので、「浄明院」がこの地蔵尊像を「六番」と名乗りはじめたとかで、話は少し混み入っていますので、その件は省略です。
▼ほかにも背の高い地蔵尊像が数多く建ちます。
▼こちらは心願成就「あらい地蔵」。説明するまでもなくゴシゴシです。
▼しかし、この寺で驚くのは門前の石碑に彫られていたように
「八萬四千體 地蔵尊」です。
▼初の訪問時には「墓地」かと思いました。
▼おびただしい数の石は墓石ではなく、すべて奉納建立された地蔵菩薩像でした。
華族や財閥なども賛同して多くの地蔵を奉納、当初の一千体の地蔵尊建立がかなって、
その後、84,000体建立の大誓願が進行中だそうです。
現実には何体あるのか分かりませんが、
明るい日差しの下の地蔵尊像は圧巻であることは確かです。
48,000体にするには寺の境内を2階建、3階建にしなければ収まりきれないかもしれません。
「へちま寺」として、「江戸六地蔵」として、そして「48000体地蔵」の寺として
訪問価値の大きな寺です。