▼下社春宮のすぐ近くにある
慈雲禅寺(臨済宗妙心寺派・長野県諏訪郡下諏訪町東町中)の朱印です。
書置きでした。中央の墨書きは「圓通閣」? 書置きだから礼を述べて300円をお渡し。
丁寧な対応でいただいたにもかかわらず、手にした朱印はちょっとソッケなさを感じる。紙質のせいかもしれない。
中国の高僧が「諏訪八景」を選定している。日本国内にある八景でも最古のものとかで、下社の春宮、秋宮も登場する。
その八景の一つがこの寺で、
慈雲晩鐘 (慈雲寺の夕暮の鐘声)という名称で残されている。
▼駐車場脇から参道に。本来の参道は写真の手前の地形のもっと低いところから始まっている。
そこからの階段に足を踏み入れれば、信玄所縁の「矢除岩」があるそうだ。
柳宗悦が「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」と言っている。だからと言うわけでもなく、単にズボラと時間の無さで、毎回殆どの寺社訪問は詳細な事前知識を持たない。
だから「矢除岩」の事は後日に知り、当日は見ず仕舞いに終わってしまう。
そういう事は多々起こるけど、私の場合は見物しそこなっても構わないのよ!
▼総門かな? ここをくぐると・・・・
▼別世界が待ち受ける。
▼日々木々の手入れをしていないと、この景観は保てないわね。 それにしても下社春宮に隣接してると言って良い近さにあるのに、春宮のニギワイのオコボレもない、全くない。
春宮を参拝して。この寺を訪れないのはゼッタイもったいない。
と思うが、この寺が多くの観光客で埋め尽くされたら、寺のイメージは一気に変わる。
寺側が、どのように望むのか計り知れないが、個人的には「このまま」がイイ。
拝観無料!
▼本堂。禅寺はこの端正さがステキ!
▼この堂の扁額「清浄光殿」。新しそうな建物は、木材の色相がいくらか場違いな趣。時が経てば渋さを増し、きっとこの境内に馴染む。
▼鐘楼の背景が「沈む夕日」になれば諏訪八景の7番目「慈雲晩鐘」 。鐘楼そのものも、周りの風景も「諏訪八景」が選定された頃とは大違いなのでしょう。
▼無駄なものを廃した端正な枯山水の庭は、蝉時雨の静寂に包まれている。セミの鳴き声は不思議だ。
彼らが騒げば騒ぐほど、静寂が深くなると感じる時がある。都会でも、どこでも・・・。
あきれるほど「美」を感じながら、あきれるほど虚無感も感じる寺。
夏の午後の静寂さは、何故か幼い頃を思い起こされる。
しかし「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」だ。
虚無感を得て「正解」としよう!
▼本堂の裏にも庭が・・。蝉時雨の中、こんな庭を眺めながら、寝そべる午後のひととき・・・。
それは「ユメ」ですわっ!
この寺の記憶は「嘆美 乾燥 虚無」。
蒸し暑いのに、なぜか境内の空気だけは乾いていたような・・。
うまく扱えば、観光寺として成り立ちそうな環境と佇まいだが、できないのか? しないのか?
寺社は一つの方向だけでなく、個々に様々な方向に進んでくれる方が、訪問者にとってはオモシロイかも。