鹿野山 神野寺の御朱印
いただいた御朱印は、残念ながら全面プリント物の書置きでした。
日付のみ金泥文字で筆入れいただきました。
元は金泥文字の筆書きでしょうが、それをそっくりプリントしても「金」感は全く表現できませんし、赤色の発色も悪く全体に薄くくすんでいました。
▼加工して思いっきりGOLD感を出してみましたが、これで精一杯!
それぞれ梵字の下の文字は、左が薬師如来の別称「醫王尊」、右は「軍荼利」。
奥の院の本尊は「飯縄大権現」。そして祀られているお堂の名称が「飯縄殿」なのでしょう。
何れにしてもコロナ禍、全く書置きで構わないので、プリントではなく、
きちんと筆書き、朱印された書置きをいただきたいものです。
御朱印は参拝の証、いただけるのは寺社側の「好意」と理解していますが、
この望みは間違っていて、贅沢かもしれません?
でもプリントの「開基聖徳太子」「関東最古」の文字が悲しいです。
御朱印には少し「お小言」を出してしまいましたが、境内にいらした若い僧侶さんはとても親切でした。
▼内房線「佐貫町駅」からバスですと35分で終点の「神野寺」です。
一般的には電車・バスより車で訪問される方がほとんどでしょう。
▼東京方面から車ルートはいくつかありますが、カーナビの案内に逆らってこのルートに進入しましょう。
▼福岡の交差点から入る「鹿野山参道」です。神野寺まで約7km。
▼福岡の信号機には交差点名はありませんが「鹿野山参道」の石碑があります。
▼右折すると参道ながら林道っぽい道路となります。
林道っぽい道路ですが、対向車とすれ違うのに困難はありません。
▼上の写真は夏ですが、ここからの数枚は3月27日。
神野寺までの参道は高低差300mほどあります。
したがって、標高の低い方では桜の花が開いていました。
標高350mほどの神野寺に近づくほど桜は、まだ先の開花となります。
天気がイマイチだったので写真の桜は発色が良くありません。
どちらにしても素人には桜の遠景を発色良くカメラに納めるのは難しいですね。
それでも、ゆっくり走るしばらくの間の参道は桃源郷のようで、とても満足のゆく桜並木です。
▼約7kmの桜の参道を抜けて右折すると神野寺「仁王門」前に出ます。
関東の一般人には「鹿野山(かのうざん)」と言えば、イコール「マザー牧場」です。
しかし「鹿野山」は、筑波山、榛名山と並んで「関東三大修験道」の山であり、神野寺の山号でもあるのです。
▼「仁王門」の前に重文「表門」の案内板があり勘違いしてしまいます。
「表門」は寺の奥にあり、ここはあくまで「仁王門」です。
寺の由緒によれば、598年 推古天皇の時代、聖徳太子によりに創建された関東地方最古の寺だそうです。
さらに、鋸山 日本寺、清澄山 清澄寺とともに「房総三山」にも数えられるそうです。
▼巨木の「大イチョウ」。葉がない時季はピンときません!
▼仁王門の手前右にある「天満宮」。「入試合格祈願」の幟が際立ちます。
▼祠の前がすぐフェンスになっていて、なんだか窮屈な位置にあります。
「入試合格」のフェンスは「高い」かもしれません。
▼石段に進み「本堂」に向かいます。
▼途中、小さく素朴な狛犬。
▼石段の上、右手に「手水舎」。
▼きちんと水が出て、柄杓も用意されています。
柄杓の柄は抗菌テープが巻かれていました。コロナ禍でもこれが大正解です。
▼重曹入母屋造りの「本堂」は1708年に再建されたものだそうです。
▼堂内は来迎図のような彫刻ですが、音楽を奏でているので来迎図ではないですね。
この御簾の奥に「薬師如来」と「軍荼利明王」がいらっしゃるようです。
▼力士像が屋根を支えています。
▼本堂の裏側です。
▼「飯縄大権現」がいらっしゃいますが、石段上のお側には寄れません。
神野寺は2019年の「台風15号」によって各所に甚大な被害を被ったようです。
▼その台風の爪痕が「飯縄殿」の屋根にも見受けられます。
▼タヌキさんですが、神野寺ではその昔の40年ほど前はトラを飼っていたそうです。
併設された小さな動物園があり、そこに「ベンガルトラ」が飼われていたものの、
3頭が逃げ出し、近くの飼い犬も殺され地域の人々は戦々恐々、結果は1頭は戻され、2頭は射殺されたものの1ヶ月近くも逃げ回ったそうです。
途中、動物愛護団体の抗議や、近くのマザー牧場での忌野清志郎のコンサート中止など大騒ぎになったそうです。
良かれと思っても、猛獣を飼うのはタイガーにしなければいけませんw。
▼「弁財天」。
▼「経堂」に「恋愛成就祈願」の幟。「恋愛」「縁」の文字は安直に使用されます。
▼「宝物館」の受付は無人で、時間外のようでした。
▼その先のこちらが台風15号で全壊し、再建された重文の「表門」。
▼表門内に入ると規制線が張られていました。
台風や地震などによる被害から修復中なのかもしれません。
▼「六角堂」や「鐘楼堂」も台風後に修復再建されたのでしょう。
造りに歴史を感じさせない新しさがあります。
日本の寺社木造建築物は地震、雷、洪水などの自然災害による風、火、水に苦しめられ、その都度、不屈の心が再建させ連綿と現代まで続いているのでしょう。
▼以下、境内点描。
▼「関東第一山」。
▼昭和10年、細かく「一金 七百七拾五圓」。
90年の歳月は安目のランチのような数値にしています。
▼寺の向かいの情報・物産館「いくべさ・よるべさ」は閉まっていました。
では仕方なく「かえるべさ」!