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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

磐井神社の御朱印(東京・大田区) 〜新しく「笠嶋辨才天」の御朱印もいただけます

磐井神社御朱印

いわい じんじゃ主祭神応神天皇ほか(東京都大田区大森北2-20-8 )

 

磐井神社御朱印です(2022年)。

磐井神社御朱印(2018年)。

磐井神社御朱印(2014年)。

 

境内社 笠嶋辯才天御朱印(2022年)。

 

東海七福神 弁財天御朱印(2014年)。

同じ「べんざいてん」ですが、22年は「辯才天」、14年は「弁財天」となっています。

 

御朱印は社殿横、社務所受付でいただきました。

▼通常、3種類以上の御朱印がいただけるようです。

御朱印のタイムリーな情報は「磐井神社 twitter」などでご確認ください。

 

磐井神社」については過去記事にしています。

しかし神社の紹介はわずかな文字数で、賑やかになった御朱印の話と、それにまつわる記事だけで終わってます。

それも、神社に対して少し失礼な内容だったかもしれませんので改めて記事にします。

 

▼JR「大森駅」から歩いても10分強、京急大森海岸駅」なら徒歩4、5分です。

磐井神社は国道15号(第一京浜)と、現在は高架になった京浜急行の鉄道に挟まれるような地に鎮座します。

 

▼神社前の北道15号の歩道脇足元に「当神社 重要縁起 磐井」の石碑が立ちます。

▼井戸、いや元井戸の跡です。「磐井の井戸」です。

磐井の井戸」とすると重複表現になるかもしれません。

「磐井」だけでもう井戸、泉など、水を汲む場所を表していると思います。

教育委員会のガイド板によると、もとは神社境内にあったものが国道15号の拡張により、境内が狭められたため現在のような位置に残されているとか。

現在は水が湧いているのか定かではありませんが、いずれにしても飲むことはできないそうです。

しかしこの井戸の名称が神社名にもなり、江戸時代までは東海道を行き来する旅人に「霊水・薬水」として親しまれていたそうです。

飲んで「心正しければ清水 心邪ならば塩水」と言い伝えられていたそうです。

 

東京にも「井」の文字が使われている地名がたくさんありますが、多くは「井戸」や「泉」に由来して使用されている地名が多いようです。

 

▼その井戸と歩道を挟んで対面に「延喜式」と彫られた社号標が立っています。

▼鳥居周りの幟は「七五三」や「七福神」など季節ごとに変えられていて、この日の訪問では「端午の節句」のにぎやかなノボリでした。

境内は鯉のぼりの飾りなども見られました。

▼ひさしが大きく張り出し、どっしりとした手水舎。

▼社殿前の狛犬は左右とも子獅子を抱いています。

▼子獅子は尾っぽ側にもいて、複数の子獅子が親にしがみついています。

数の子獅子を従える狛犬は子宝、安産、円満の象徴として親しまれているそうです。

磐井神社の創建は由緒書きには573年の起源とされていますが不詳でしょう。

いずれにしても式内社ですので平安時代以前です。

延喜式内社の多くは創建年が確かな神社は少ないはずです

長い年月の間に地震や火災などで記録が失われることがほとんどだからでしょう。

当社もその例に漏れず

▼社殿は戦後に再建されています。

▼額には「武蔵國八幡總社 磐井神社」と書かれています。

平安時代初期に「武蔵国八幡総社」に位置づけられたと伝わっています。

また、かつては「鈴の森八幡宮」「鈴ヶ森八幡宮」とも呼ばれていたそうです。

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▼境内北側にある「楽殿」。

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▼神楽殿の隣に鎮座するのは「海豊稲荷神社」。

江戸時代までは神社の前は江戸湾。「海豊」の名称とおり、人々は「豊饒の海」を祈り「豊かな海」に感謝したのでしょう。

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明治期「大森海岸」は海苔の養殖が盛んで、都心から近いビーチ、海水浴場でもありました。

同時期に周辺は料亭や置屋が軒を並べる花街にもなり、1960年代まで続いたそうです。

そんな名残りの名称が玉垣に朱色の文字で刻まれています。

 

▼境内西側に石碑や力石、古い水盤などが並べられています。

現在は非公開で見ることのできない「鈴石」と「鳥石」があったそうです。

▼その鳥の模様のある珍しい自然石「烏石」にまつわる江戸文人の石碑。

f:id:wave0131:20190619173136j:plain鈴石」は打つと鈴のような音がしたと伝わり、また「鈴ヶ森」の地名の由来にもなったと言われています。

そこから「鈴森八幡宮」とも呼ばれるようになったのでしょう。

 

▼「力石」は大公開。この一画は磐井神社の歴史の一部を物語っています。

▼境内は植栽や植木が季節ごとの花などで人々の目を和ませてくれます。

庭師らしき男性が一人黙々と作業をしている姿も目に入りました。

▼樹齢800年、大きなイチョウは夏の匂いとともにひときわ存在感を示しています。

▼境内南にある「弁財天社」の社殿が新しくなっていました。

御朱印をいただいた「笠嶋辯才天」です。「東海七福神」の弁財天でもあります。

▼その社殿の以前は、こんなシットリとした良い風景でした。

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こんな程度に年月を重ねた社殿の方が趣があるのですが、

寺院の建物とは異なり、神社の社殿は常に新しくされ歴史をつないでいきます。

人の好みなどで易々と新社殿を建立できないとしたら、神社の歴史は古代から未来へ連綿と伝えられないかもしれません。

▼古い石柱に「かさ志ま」の文字が読めました。

▼弁財天社が鎮座する島状の周囲は池になっていて「弁天橋」が架かります。

▼社殿が新しくなっても神社一番の景色かもしれません。

▼4月10日のサクラです。日本の桜も品種が増え、開花の時期も様々です。

 

御朱印が人気で、いっときの境内は常に参拝者であふれていました。

現在はその人気も落ち着いて、少しクワイエット!

それでも参拝者が絶えることのない磐井神社でした。

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