中央の朱印「勝和」は神社の神徳を表すものです。
様々な困難に勝つ力と、和の心を与えてくださる神だそうです。
左下は「京急の夏詣キャンペーン」による電車と数字のスタンプ。
「健勝堅固」も文字通りの意味で、「勝和」に近い意味合いがあります。
▼「6/30〜8/31は夏詣仕様になります」として3種類の御朱印サンプルが掲示。
▼はさみ紙も「京急の夏詣キャンペーン」仕様でした。
「稲毛神社」の名称と神社No.「4」が印刷されていて、御朱印の「4」と同じです。
▼夏期間だけでしたが、その「京急キャンペーン」の案内です。
京急が乗り入れている都営浅草線の「浅草駅」から京急の「三崎口駅」までに点在する「13の神社を巡ってくださいよ!」という夏詣企画でした。
神社とコラボのうえ、ちょっとした特典も用意して、京急電鉄を利用させようというキャンペーン。
他の鉄道会社でもたびたび見かける企画です。
この企画では稲毛神社の名は4番目に挙げられていますが、
▼さらにこんな企画にも稲毛神社の名称が見られます。
京急の電車利用では御朱印巡りは大きな体力はいらないでしょうが、
▼「ツール・ド・御朱印」はロードバイクで巡るのですから体力勝負です。
南は三浦半島、房総半島から茨城へ、そして栃木の古峯神社までの10社を制覇する企画です。
どこを起点に巡り始めても5県に広がる神社を自転車で巡るのは用意ではありません。
特に大きな特典はなさそうですが、携帯に便利な小さな専用御朱印帳が用意されているようです。
問い合わせ先が限定御朱印で有名な「下神明天祖神社」となっているので、東京のこの神社の企画なのでしょう。
この企画には期間設定が見当たりませんが、長生きできるでしょうか?
それにしても今や、御朱印をめぐる様々な企画が日本中を駆け巡っています。
稲毛神社のように複数の企画に同時参入していても不思議でも、おかしくもありません。
今や一般的に広まった「夏詣」という言葉さえ、発端は2014年に浅草神社から提唱されたものです。
それ以前は「夏詣」という言葉はありませんでした。確か・・!?
新しい言葉がわずか5〜6年で浸透したのはオドロキです。
コロナ禍でやや水を刺されていますが、まだまだ御朱印バクハツは進行中のようです。
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稲毛神社と直接関係のない言葉を多く並べましたが、
▼神社へは最寄の「川崎駅」から5〜600mです。
▼2014年訪問時の写真3枚です。
▼2020年の再訪です。国道15号線「第一京浜」沿いに新しい巨大看板が出来てました。
「和の神 勝の神」はやや新しいキャッチフレーズと思います。
▼やはり「第一京浜」沿いに巨大な社号標と朱の鳥居が建ちます。
川崎は宿場町でした。
日本橋を起点に品川宿、川崎宿と続く2番目の宿場町で、稲毛神社はその鎮守社でした。現在でも川崎で最も有名な神社でしょう。
神社の創建は不詳ですが、御神木とされている巨大な大銀杏が樹齢1000年と推定されるそうなので、それよりさらに遡るかもしれない古社です。
当初は祭神名をそのままに「武甕槌宮(たけみかつちのみや)」と呼ばれて、
平安時代に入って山王権現を勧請して以後は「河崎山王社」「堀之内山王権現」「五社山王」「三社宮」などと呼ばれていたそうです。
さらに明治の神仏分離以後は「川崎大神稲毛神社」と改称し、一時「川崎大神宮」とも呼ばれるようになり
「稲毛神社」の名称に落ち着いたのは明治期だそうです。
なんとも目まぐるしく名称が変わっています。
「稲毛」は川崎地域の古い地名だそうです。
「山王」の名称は例祭の「川崎山王まつり」として残っています。
▼社殿前の鳥居は江戸時代に建てられたもの。
▼さらに古い鳥居は地震で倒壊。台座だけ残されています。
上半身についてお願いごとのある方は右の狛犬を、下半身についてお願いごとのある方は左の狛犬を撫でてからご参拝下さい。(稲毛神社)
▼青銅製の像が撫でられてハゲています。
▼社殿は空襲で焼失し、現在の社殿は戦後の昭和に再建されたコンクリート製です。
▼境内西側にも参道があり「郷社稲毛神社」の称号標が建ちます。
▼合祀殿は「三峰神社」をはじめ7つの神社がまとめられています。
▼川崎でも富士講が組織されていたのでしょう「浅間神社」です。
▼「佐々木神社」
佐佐木四郎高綱公は源頼朝公の命を受けて河崎山王社(稲毛神社)の造営奉行となり、砂子に館をかまえて改修工事にあたられました。(稲毛神社)
▼川崎天満社や白山神社も並びます。
▼御朱印が授与される「大鷲神社」。例年酉の市がたつそうです。
▼「子神社」は川崎宿場時代から唯一残る建物だそうで、厳重にフェンスされてます。
▼「堀田稲荷神社」と「第六天神社」。
▼そして何と言っても境内で存在感が最も巨大なものは、圧巻のご神木です。
1本の銀杏の木ですが、その根本は複雑怪奇。
▼江戸名所図会にも社殿より遥かに高い大木が描かれています。
着色してしまいましたが、当時は「山王様の大銀杏」と呼ばれていたそうです。
▼その枝ぶりはどこまで伸びているのか他の木と区別もつきません。きっと黄葉したら見ものでしょう。
▼大銀杏をグルッと囲むようにブロンズ像の十二支が並んでいます。
江戸時代の書物に
「この大銀杏の周囲を回りながら願い事をすると、ことごとく叶う。・・
との記載があるそうで、それにちなみ「十二支めぐり」ができるそうです。
ユニークでカワイイ干支たちが参拝者を待っています。
再訪も見落とした見処たくさんの稲毛神社は三度、四度訪れてみます。