▼印内八坂神社「疫病退散」の御朱印。
▼「あまびえ」疫病退散のイラスト紙。
▼御朱印は神社前の道を東に歩き、交差点近くのこの理容店でいただきました。
訪問時は幸いにも理容店に客はいませんでした。
丁寧に対応いただいた店主と少し世間話。優しそうな人柄があふれていました。
残念なことに書置きで全て印刷物。
プロの書道家がボランティアで何百枚もの書置き御朱印を揮毫するとも思われないので、複製を許可されたことだけでも充分でしょう。
神社の祭礼の折には書道家自らの直書き御朱印がいただけるとか。
しかし歴史ある祭礼も残念なことに2020年は中止となっています。
▼八坂神社の鎮座地は「印内二丁目」。
三丁目まである「印内」ですが、
南に隣接するような位置に小さな面積の「印内町」もあります。
何でしょうか? 「印内」とは。
その地名は下関や佐久など、全国に数ヵ所あります。
同じ音で「院内」という地名も多くあり、千葉神社は「中央区院内」です。
「印内」の地名も何らかの形で寺社との繋がり、関連がありそうな名称です。
▼由緒書きには江戸時代の疫病に苦しめられた村を救うため、1733年、京都八坂神社の牛頭天王の分体を奉ったとあります。
半年以上の期間、世界中の人々を苦しめ
ブレーキのかからない2年目の疫病の退散を願って牛頭天王を参拝しましょう。
福島の「相馬」ではなく、明治までは千葉・茨城にまたがっていた行政区分です。
この神社の隆盛期を記録する社号標です。
▼しかし「再建記念」の文字。
なんと!
いつ失われたのか、社殿は2013年に再建されたものだそうです。
▼中門には「印内」の文字はどこにも見当たりません。単に「八坂神社」。
2020.06.sat.の境内は静寂が支配していました。
2人の参拝者と遭遇しましたが、静謐な境内は乱されません。
ここに「八坂大神」が祀られる以前は寺だけでした。
▼手水舎も再建同時期に造られたものなのでしょう。
▼コロナ禍でも水も流れ、柄杓も用意されています。正しいと思います。
「牛頭天王」が見守り、強い味方のはずです。
手水舎をロックダウンしている寺社が多いのですが、
コロナ禍の今だからこそ、手水舎の御神水により「穢れ」を禊がなければ、
どこで清めれ、と言うのでしょう?
半ばジョーダン、半ば本気ですが・・。
▼拝殿扁額には「印内」の文字がありました。
▼拝殿の前の新しい狛犬とは別に、拝殿裏側の本殿前には年老いてなお壮健な狛犬。
▼苔むした狛犬は、覆屋上部はあるもののほぼ剥き出しの本殿を守っていました。
本殿を完全に覆ってしまうより、この方法が正しいのでしょう。
▼本殿扁額の「八坂神社」は素晴らしい書体!
▼そしてこの神社の産みの親でもある光明寺。
▼光明寺は神社社殿と仲良く右隣に本堂があります。正しいと思います。
神社と寺は「密」で良いのです。
同じ敷地内で同じ扱い方をされるのが好ましいのです。
▼御朱印をいただくため移動する途中、農家らしき家の前で見つけました。
コンテナボックスには少品種の野菜類が入っていました。
「代金はポストへ」と書かれています。
枝豆1袋200円を手にしました。
鞘も豆も小さ目だったのですが、
朝獲りだったのか、新鮮でシンプルな余計な味のない、
懐かしさを感じさせるとっても美味しい枝豆でした。
久々に正しいと思える枝豆を味わう事ができました。
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「コロナ前の社会が懐かしい!」
そんな思いでいる人が大勢いることでしょう。
しかし、覚悟が必要です。
決して戻ることのないコロナ前の社会です。
そして人とコロナの共存の戦いはまだ始まったばかり。
野球で言えば2回の裏に入った頃かもしれません。
東京でも再び不安定で危険な数値が示されています。
7月の連休も夏休みも積極的な計画を立てる人は少ないようです。
自分では決して大きな恐怖を抱かなくとも
遠方に外出すれば自粛という同調圧力が重くのしかかってきます。
御朱印も授与再開や、書置き、郵送のみなど
様々な対応方法、授与方法が模索され変化しようとしています。
こんな状況のなかで他県の寺社を訪問しても
いろんな思いが頭をよぎり決して楽しくはありません。
もう何ヶ月もトップニュースはコロナの話題です。
最強のウイルスに対して最大の忍耐を求められている人間。
ついこの間の事であった
あの頃の何の憂いもないノーテンキな楽しい御朱印巡りをできる日が
いつかまた、やって来てほしいものです。
たとえ「コロナ前」と100%同じには
戻らないにしても・・・。