今宮戎神社の御朱印
「いまみやえびす じんじゃ」主祭神:天照大神(阪市浪速区恵美須西1-6-10)
中央の筆文字は「えびす大神」。
若い神職さんにこんなに多くの文字を記帳いただいて300円。申し訳ない気がします。
商魂逞しいイメージを持つ関西ですので、その思いはなおさらです。
大阪の寺社に「商魂」は薄いのでしょうか?
今や商魂の逞しさは関東の社寺にその座を譲ったかもしれません。
▼最寄駅の南海は「今宮戎」表記、しかし地下鉄・阪堺電車は「恵美須町」表記。
以前にも記事にしていますが「えびす」の表記は様々です。
恵美寿、恵比須、恵比寿、恵美須は序の口で
夷、戎、胡、蛭子、蝦夷・・・など、すべて「えびす」です。
もっとも「夷、戎」などの文字は普段使いがありませんので、
御朱印をいただくようになって知った「えびす」です。
初めていただいたときは、恥ずかしいことに「いしん」と読んでしまいました。
▼という事で「今宮戎神社」です。
この神社で毎年1月に行われる「十日戎」は
東京でもニュースになるほどチョー有名ですので、
大阪の方たちは「戎」を難なく「えびす」と読めるかもしれません。
そして神社のイメージも勝手に持っていました。
しかし「今宮戎神社」の現場に到着して、
ガランとした境内、摂社・末社などのが目に入らない境内にオドロキました。
その素っ気なさにがっかりしたと言って良いでしょう。
この神社に何をイメージして、何を望んでいたのでしょう?
もちろん神社のせいではありません。
ニュース画像などによって勝手に思い描いたイメージであったし、
この日は高津宮、生国魂神社、住吉大社などを参拝した後なので、
それらの大きな神社は境内が賑やでした。
そんなこんなのギャップが「ガッカリ」という気持ちを起こさせたのでしょう。
全く勝手なものでした。
境内は綺麗に掃き清められ夏草1本ありませんが、まるで「兵どもが夢のあと」です。
身勝手な気持ちを抱いていると狛犬たちに叱られる事は間違いありません。
ハイッ! ごめんなさい、悪気はありませんが、こんな状況の時もあるのです。
▼なにはともあれ参拝です。天照大神と「えびす」としての事代主神にご挨拶!
「えびす像」は鯛と釣竿を持っているので想像できるように、元々は漁業の神さま。
そして商都の浪速っ子によって、
いつの間にか「商売繁盛の神さま」に祀り上げられています。
まぁ、浪速っ子のせいではなく
七福神の流行などによって変化してきたのでしょうが・・。
何れにしても大阪っ子にとって「えびす」=「今宮戎」であり「えべっさん」です。
それ以外には考えられないようです。
▲そしてこの今は何もない境内が、
▼正月の「十日戎」にはこのようになるそうです。(▼写真は「OSAKA INFO」)
関東でも同じように商売繁盛を願う「お酉さま」があります。
その願いの熱狂ぶりは西も東も変わりがないようです。
しかし「熊手」ではなく「笹」など、その祭の内容はかなり異なります。
(▼写真2点は「今宮戎神社」のHPからお借りしました)
一番の違いはオーディションによって選ばれ、金の烏帽子に千早姿の「福娘」たちの存在でしょう。
彼女たちは3日間の戎中に街中行列、団体への挨拶、餅まき行事など様々なイベントにお勤めするそうです。
こんな素敵なオネィさんたちなら、ぜひ「十日戎」を訪問してみたいものです。
でも、ヨコシマな心で「十日戎」を訪問してもロクな結果にならないでしょう。
関東人は「お酉さま」でガマンすることにしましょう。
▼今回はガラガラの境内でゆっくり参拝することにしましょう。
さて、当社は「四天王寺」を建立する際に、その西方守護として建立されたと伝えられているので1400年も前のことになります。
そしてほかと同様に戦時中に全焼しているので、建物はすべて昭和の再建です。
▼本殿の真裏も遥拝所のように施されていますが「十日戎」には、ここがなくては始まらないほど、重要な役割を果たす場所でもあるようです。
▼境内右奥に「稲荷社」です。
▼こちらは「大黒社」。
▼「陋巷を好ませたまひ本戎」と彫られています。
「陋巷(ろうこう)」とは狭くきたない路地、貧しくむさくるしい裏町だそうです。
▼では、その「陋巷」をさまよってみましょう。
いきなり「玉出」はパチンコ店か、玉袋筋太郎を思い起こさせられますが、
スーパーチェーン店らしく、他でも数回目にしました。
▼その次に「陋巷」で目にしたのは「かす」。
「かす」は「滓」でしょうが、いわゆる油カス。大阪のソウルフードですね。
いよいよ「陋巷」メインストリートです。
あまり茶化していると「たいがいにせいやっ」と、大阪の方にしばかれそうです。
「いてまうど、オラッー」クワバラクワバラ!
▼射的屋さんはミナミでたくさん見かけました。東京では縁日以外ありません。
▼昭和の建物です。東京タワーと同じくステキです。
何よりは「通天閣」と、カタカナを使わないこと。
東京浅草にも、その昔は「凌雲閣」という展望塔があったそうです。
いまや少し離れたところに「スカイツリー」が建ちますが、こんなには魅力的でない。
スカイツリーか東京タワーかに優劣はなく好みがあるだけですが・・・。
▼最後の「陋巷」を通り抜け、次に向かいます。
日本ではいくら路地裏に入っても、もはや「陋巷」は見つからないでしょう。
江戸時代の俳人が謳った言葉「陋巷」は、本当はどのような町、場所を指したのか漠然としています。