▼禅英山 寳泉寺の御朱印です。(天台宗/東京都新宿区西早稲田1-1-2)
勿論そればかりではないですが、パブロフの犬のごとくの理解です。
▼参道の先に寺で一番大きな3階建ての建物の1階に、授与所が大きく開かれています。
▼2020年の御朱印案内です。
「イラスト御朱印 作 徳田有貴子氏」の案内もあり、作者は伝筆認定講師さんのようです。
今回は御朱印はいただかず、訪問だけ。
掲載の御朱印は2013年に直書きいただいたもので、当時は当然 案内も無く、1種類しかなかったように覚えています。
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▼早稲田のこの地域は、メトロ副都心線「西早稲田駅」近くの玄国寺から始まり、諏訪神社→放生寺→穴八幡→龍泉院→寳泉寺と続き、さらに観音寺まで御朱印をいただける寺社が連なっています。
▼「穴八幡」がある「馬場下町」交差点から東に「早大南門通り」を進めば、直ぐに左手に寳泉寺参道が見えます。
▼2013年当時の素っ気ない参道でした。
▼2020年には寺号を記した大きな看板が立てられ、参道も植栽が並べられ参拝者を歓迎する姿に変わっていました。
▼さらに参道入り口にお守りの案内も出ていました。
合格祈願「勝守り」は『W』がデザインされています。色も早稲田カラー。
▼これと同じです。
2021年の箱根駅伝では総合6位で、見事シード権を獲得しています。
金運御守「小判(おたから)」は、江戸時代に寺領に埋められていた小判がザクザク見つけ出されたことに因むものだとか。
その小判の数、最初に389両、2度目の1843年には800両だったとかで、
童話「花咲か爺さん」そのまんまのウソのようなホントの話だそうです。
寺のはじまりは810年頃と伝わりますが、定かでないようです。
いずれにしても1000年以上の歴史を持つそうです。
江戸時代には、現在の早稲田大学のキャンパスのほとんどが寺領でした。
当時の伽藍の中には毘沙門堂も建ち、勝負事にご利益があると有名だったそうです。
「勝守り」の根拠のひとつなのでしょう。
この寺も江戸時代の火災や、戦時中の空襲により建物のほとんどを失っています。
▼現在の本堂も1966年の建立です。
コンクリート造りで、個人的には大きな興味を持てませんが、よく見ると寺建築の概念とは異なるものの、おもしろい部分を持った建物でもあります。
▼そして「元祖富くじ」、江戸で最初に富くじが行われた寺院とされています。
江戸では谷中の感應寺、目黒の瀧泉寺、湯島天神は「江戸の三富」と称されるほど盛んになり、
その後、浅草観音、浅草三社、本所回向院、深川霊岸寺、芝明神、愛宕山、西久保八幡宮、白山権現、根津権現など興行元は数十ヵ所になったそうです。
寳泉寺もその中に数えられていたのでしょうか?
江戸時代の「富興行一件記」という文献には「江戸で最も古くから『富くじ』を行っていた」と記されているそうです。
どちらにしても「元祖」や「本家」「本元」などの呼称に問題はないでしょう。
「先駆け」や「パイオニア」などと同様、根拠や裏付けは曖昧でも構わないでしょう。
これらには数多く対面していて、いちいちイチャモンをつけていたらキリがありません。
▼全て焼失された中で唯一焼け残った梵鐘は1711年の鋳造。
その鐘の音だけは唯一300年前と変わらないかもしれませんが、
希望者が突けた「除夜の鐘」も、2020年は中止されています。
▼You Tubeでの配信が、2020年以降のノーマルとなるのでしょうか?
寺は学生企画のイベント会場を貸し出したり、学生との交流、また「早稲田大学合格オンライン祈願」など、
地理的に近いだけでなく、何かと早稲田大学と縁が深いようです。
とは言っても、2020年12月の早稲田の街に学生たちの姿はごくわずかしか見当たりませんでした。
2021年度以降は、大学側も7割の対面授業を目指しているそうです。
やはり学生の姿が少ない早稲田は寂しい限り。
例年のように早稲田の街が若者たちで賑わう日が早く戻ってくることを心から願うのは、周辺の飲食店ばかりではないでしょう。
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