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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

諏訪・法華寺の御朱印 〜 吉良義周公墓所 〜 諏訪から松本、そして南信へ❸

▼鷲峰山 法華禅寺御朱印です。

臨済宗妙心寺派・長野県諏訪市大字中洲神宮寺)f:id:wave0131:20180821203341j:plain中央の墨文字は本尊「釈迦三尊佛」でしょうねぇ?

上にある左右2つの印は読めない!「霊鷲峰」? 「◯蹟 吉良義周」かしら?

 

この御朱印をお願いした時、奥様さんらしき女性が、息子さんらしき方の名を呼んだ。

息子らしき僧侶は右手から疾風のように現れ、わたしの朱印帳をサッと受け取って奥に消えた。息子さんが住職か?

 

しばし、終始笑顔の絶えない奥様らしき女性と雑談。

わたし本宮の参拝ついでに、時たまやって来る朱印収集人。300円じゃ、やってられないわよねぇ! その都度、自分のしている事が中断される、でも無下にもできないし・・」と問いかける。

女性ははははっ、そうなのよねぇ! ここだけの話だけど・・。でも有難いことでもありますよ!」というような言葉。

 

ワンコイン500円を受け取ってもらう。

あらっあらっ、今お釣りを・・・

いつものように

とんでもない、お賽銭がわりに!

 上社本宮に参拝したら、この寺にも寄りましょう。歓待されます、きっと!

 

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法華寺諏訪大社上社本宮のすぐそばにあります。

 

▼上社本宮の二の鳥居の左手にこんな案内板があります。

f:id:wave0131:20180821202115j:plain漢字ばかりで読みたくない! それも「平体4番」のような変形文字で読みにくい!

 

「平体4番」と言っても誰もわからない。

私も知らないが「しかし、チコちゃんは知っている」。

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平体1番」は変形率10%、2番が20%・・・と言うように扁平な文字を示すのね。

 

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同じように「長体1番」「長体2番」・・・は縦に細長くした文字を示す。

1990年頃までに印刷物の文字を組むときに使われていた表現だそうよ。

アナログ時代のことだわね。

今はパソコンで無段階に1%までも変形できるから、こんな表現はなくなった。

もっとも1%まで変形すると、ほとんどの文字が線になっちゃうけど・・。

以上、チコちゃんでした。

 

そんなことはどうでも良い、肝心の案内板は

「きらこうずけのすけ よしなか こう ようちゃくし(まご)」

「きら さひょう よしちかこう」ここに眠る。吉良町(きらちょう)

と読むらしい? 定かでないです!

 

この地の住所は諏訪市大字中洲神宮寺なのに、

看板の最後に「吉良町」と言うのは何なのでしょう?

吉良町」が建てた看板?

 

吉良町」がどこにあるか、日本人のほとんどが知りません。

吉良町がどこにあるかも知らないで、毎年12月になると「やれ忠臣蔵だ、やれ討ち入りだ」と話す日本人の何と多いことか!

しかし、チコちゃんでなくとも私は知っています。

 

▼ここにあります。吉良町は吉良家の領地だったのです。

f:id:wave0131:20180822131718j:plain愛知県の三河湾沿いの町で、現在は西尾市編入されています。

実は西尾市は私の出身地。知っていて当然!?

 

▼何はともあれ、上野介の孫が眠っているなら、悪いけど眠ってる場合じゃないですよ、起こしちゃいます。吉良からではないですが、八丁堀からやって来ました!

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▼三門前にも吉良町からの案内板が・・。

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▼仁王門、もしくは禅寺だから山門ではなく「三門」。

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本堂。賑わう上社本宮のすぐ隣ですが、こちらの境内は静かなもんです。

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▼扁額は釈迦三尊

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▼「弁財天」に「大黒天」は諏訪湖湖畔七福神? この七福神は機能してない様子。

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▼境内裏にある目当ての墓所に登ります。大好きな階段にこの日初遭遇。

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▼トントンとかけ上げれば、すぐ墓に行き着きます。

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義周が説明されている吉良町からの銘板。

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吉良義周は赤穂浪士による吉良邸討ち入りに遭遇。手傷を負い、領地召し上げ、高島藩預けとなります。高島城南之丸へ幽閉されたそうです。

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▼そして、その3年後の宝永3年にこの地で病死し、ここに埋葬されました。f:id:wave0131:20180821202111j:plain

300年以上眠っている。病没までの事情からか立派な墓石ではありません。

 

▼こちらは諏訪市教育委員会の銘板。吉良町側の案内と微妙に違います。

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いつぞやも吉良町の学校の教師さんが、いろいろ調べにやって来られましたよ」と庫裏の女性の言葉。

吉良町諏訪市は、こんなところでも繋がっています。

義周に合掌。

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