千葉の「中山」と言うと、全国的に知名度があるの「中山競馬場」です。
競馬に興味がない人でも耳にはしているでしょう。
でも京成線「中山駅」は競馬場の最寄駅ではありません。
京成線の最寄駅はもう1つか、2つ先の駅、またはJR「西船橋駅」です。
▼競馬開催の時は、この京成・中山駅から始まる法華経寺への参道が車両進入禁止になります。駅を出て首を左右に振れば、参道へ導く「黒門」が見えます。
▼「黒門」をくぐると、少し登り勾配になっている参道はとっても気持ちがよい。
荷風が市川に転居してきたのは1947年。亡くなったのは1959年。
60年から70年近く前。彼もこの参道を歩んでいるはずですが、おそらく当時は舗装もされてなく、左右の商店も仕舞屋風だったに違いありません。
60年も経過すれば、高度経済成長を経て東京や、その近郊は景観は激変しています。
当時の面影はまったくないに等しいでしょう。
▼中山駅からここ「山門」までは一直線で250mほど。
しかし、山門から先の境内は街中のような変化より少ないはず。
山門を過ぎ、続く石畳は、やはり当時は雨が降れば、ぬかるむ道だったかもしれない。荷風は日頃、下駄履きでした。ぬかるみを避ける下駄の鳴る音が聞こえそうです。
左右に塔頭が連なります。この多数の寺院も大きくは変わってないでしょう。
歩みを進めて参道を振り返ります。
土産物屋や飲食店。当時から歴史を重ねてきているようで、イイ雰囲気です。
▼「祖師堂」前の境内は広々としています。
「午後中山散歩。法華経寺境内今日も御会式にて雑沓す。軽業手踊を見る。木戸銭大人弐拾円子供拾円。大入の景気なり。」(荷風「断腸亭日乗」昭和22年、1947年)
明治以前は寺社がディズニーだったのです。その名残は戦後まで続いたはず。そして消えました。間違いかもしれませんが、勝手にそう思い込んでいます。
▼祖師堂でいただいた正中山 法華経寺の御首題。
▼祖師堂の裏手にある「羅刹堂」。
▼羅刹堂内でいただいた法華経寺の御首題。
この寺は見処イッパイですので、ぜひ皆さん自分の目と足で確かめてください。
ランチも含めて半日近くの時間を予定しておくと、ゆっくり見られるでしょう。
▼そして、鬼子母神堂の右手にある道を奥に歩みを進めると「奥之院」の案内があります。
「奥之院」は、まったく静かです。 ほとんど何時も喧騒とはかけ離れています。
でも堂内で静かにお参りできて、御首題も気持ち良く対応いただけます。
初心者でも大丈夫! 静かに「南無妙法蓮華経」と唱えればよいのです。
▼法華経寺 奥之院の御首題。
▼帰り道で見送ってくれます。
小動物には嫌われませんのでカメラレンズに向いてポーズ。
ケーカイしてるだけかなぁ? 「こいつ、アヤシー!」って。怪しくないわよっ!
京成中山駅より東京方面に2つ戻ると本八幡駅。荷風はここから2kmほど先の中山へ、そして船橋市の海神まで、軽い歩みを進めています。
よく歩く人でしたが、80歳を前にしてその歩みは突然止まります。
▼晩年いつも通っていた店の現在の様子。
亡くなる前日、最後の晩餐も、ここでいつもと変わらず「カツレツ丼」と、お銚子1本。いつもと変わらない最後でした。
突然死っていうのは周りの人たちを右往左往させるけど、病院でイジクリまわされ、延命だけなら可能な医療に身を任せるような今の永眠に至る状況を思うと、いつもと変わらない最後を迎えるのは極めて難しいこと。
なにが幸か不幸かわからなくなります。