▼日吉神社の御朱印です。(神奈川県横浜市港北区日吉3-9-5)
「武蔵国橘樹郡日吉郷」響きも良く、当時の様子が脳裏に思い描けそうな地域名です。
現在の表記「神奈川県横浜市港北区日吉」とは、味わいが違います。
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▼「日吉駅」は東急東横線・目黒線と地下鉄グリーンラインが乗り入れていて、東急が開発した古くからの住宅街です。
さらに、ほぼ慶応キャンパスの街です。
東京・三田のキャンパスは広いものの、本郷の東大ほどでもなく、その学生たちを受け入れるには狭いと言えるでしょう。
それでも昭和初期の当時に考えられたことではない中、東急は先を見るというか、自社の路線の乗客を増やしたく、慶応にキャンパス誘致を持ちかけ、その後の街づくりと東急路線のブランド作りに成功してるように思います。
日吉駅西口は「サンロード」「浜銀通り」「日吉中央通り」「普通部通り」などの5つの通りが放射線状に延びて、そこをいくつもの円周状の道路で区画されています。
この形状は東京では、同じく東急が開発した「田園調布」の街並みが代表的です。
▼面白いのは「普通部通り」。
こんな名称の通りは日本中探しても日吉だけでしょう。
この通りの先にある中学校「慶應義塾普通部」に因んだ名称です。
「普通科」でもなく、
「学校」や「中学校」という文字を使用しない中学校名です。
部外者には摩訶不思議な通り名と学校名です。
そんな日吉駅の西口ではなく、
▼「日吉神社」は大学キャンパスのある東口に鎮座します。
北から南まで全国に広がる「日吉神社」は耳慣れた感じがします。
関東にも多数あると思っていましたが、
境内社などを除いた独立した「日吉神社」は、1都3県では10社に満たない数しかありません。
ところがここ横浜の「日吉神社」は、直接は大津の「日吉大社」とは無関係です。
数多ある「日吉神社」とは違います。
祭神も日吉権現、山王権現でなく
「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」とされています。
平たく言えば「天照大神(アマテラスオオミカミ)」です。
神社は創建不詳で、
古くは「お伊勢原」と呼ばれた高台に鎮座する伊勢信仰の「神明社」でしたが、
昭和の時代にこの地域が「日吉」という新町名になったのを機に「日吉神社」と改称されています。
という事で、ここ「日吉神社」と大津の「日吉大社」は直接関係ないと記しましたが、
「日吉」という地名自体は「日吉大社」と大いに関係があり、「日吉権現」にちなむ町名です。
「金蔵寺」は関東三十六不動、武相不動尊、横浜港北七福神などの札所としてお馴染みですが、
かつては金蔵寺に「日吉権現」が祀られていたことから、
明治期に地名が「日吉」となっています。
少しややこしい事になっていますが、ここは「日吉のお伊勢さま」なのです。
神社や祭神に関して、いつもややこしく感じるのは、別名や通称が多すぎるのです。
「伊勢信仰」の「お伊勢さま」は「神宮」であり「伊勢神宮」でもあり、
別名は大日孁貴神、大日女尊、大日孁、大日女、天照日女之命、天照孁女貴、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命などとされています。
そして「お伊勢さま」を勧請した神社名は天祖神社、神明社、神明宮、皇大神社などとされています。
例えば川崎にある「天照皇大神」は、
祭神を「天照大神」と「撞榊厳魂天疎向津姫命」としていて、どれが神社名か祭神名か混乱させられます。
同じように「日吉大社」は「日吉さん(ひよっさん)」などと呼ばれ、
総本社とする神社名も「日吉神社」「日枝神社」「山王神社」「山王社」などと様々です。
祭神も「日吉権現」「山王権現」「日吉山王権現」とする神仏習合の神です。
「日吉さん」も「お伊勢さま」も、神社名と祭神名の別称の組み合わせなどで表記は千差万別になってしまっていることが、凡人の理解をややこしくさせるのです。
八幡神社などの他の神社も全く同様に、多くの別名・別称組み合わせで理解がややこしくなっています。
それぞれ頂点にある総本社・総本宮を知れば、
他の神社は「祭神を同じくする子供たち」と理解して良いように思いますので、
実は易しい話なのですが・・・やはり、ややこしいのです。
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