▼平井諏方神社の御朱印です。(東京都江戸川区平井6-17-36)
諏訪神社と天祖神社の2つの書置きをいただいたら、祭礼用の手ぬぐいを一緒にいただきました。合計1000円です。
▼平井諏方神社の御朱印。
2体の御朱印ともB6サイズの大礼紙が用いられていますが、
残念なことに日付以外はすべてプリントされたものでした。
東京では近頃は書置きで印刷かプリントでも1体500円が「相場」となりました。
以前は「印刷物で500円?」と思いましたが、愚かにも慣れてしまいました。
諏訪神社から500〜600mほど北に鎮座する平井天祖神社には、今回は時間の都合で参拝できませんでした。
なのに御朱印だけいただいていますが、こういうことが過去にも2、3回あったように思います。
後日、必ずや平井天祖神社に参拝し記事にします。
▼御朱印は受付は、誰にも分かりやすく授与所に幟が立っています。
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▼平井諏訪神社へは総武線「平井駅」北口から徒歩5分くらいです。
神社の西に「旧中川」が流れ「平井の渡し跡」があります。
▼「旧中川」のさらに川下に行くと、亀戸浅間神社の近くに「逆井橋」があります。
▼江戸時代には橋などはなく「逆井の渡し」でした。 (国立国会図書館)
名所江戸百景の「逆井の渡し」は西から東を見た構図で、遠方に描かれている山は「筑波山」です。
渡し場周辺の集落以外何もありません。完全な「村」だったのでしょう。
当時の川の向こうは江戸ではなく「下総国」だったはずです。。
荒川放水路ができる前の江戸時代の「旧中川」は、今よりはるかに川幅も広く、水量も多かったのでしょう。
訪問する神社は、上の浮世絵「逆井の渡し」のもっと左に、川上に鎮座します。
平井駅から歩くと浮世絵のようなノンビリとした風景はあるはずもないのですが、
▼昭和チックな店舗が見つかります。
こんな店舗がまだ存在すると懐かしいような、嬉しいような気持ちになります。
何か買ってみないと話になりませんが・・。
その店舗の西隣りに「平井聖天(燈明寺)」があります。
▼ちょっと覗いていきましょう。「関東三聖天」の1つと称されています。
なかなか目的の神社話に進みませんが、
平井諏訪神社は元々はこの「平井聖天」の僧が、享保年間に信州の諏訪大社から神霊を勧請して創建されています。
神仏習合時代のことですから、平井諏訪神社よりこちらの燈明寺の方が古く、その境内に諏訪神社が建立されたのでしょう。
燈明寺は「関東三聖天」と言われていますが、御朱印はなかなか手に入りません。
2度の訪問でいずれも「住職は外出中」と空振りに終わっています。
ネットで御朱印画像を探しても検索結果にたくさんは出てきません。
やはり、御朱印をいただくには寺のハードルが高〜いようです。
▼城のような本堂も高〜いですが・・。
▼燈明寺の前の通りをさらに西へ進むと、ようやく目的の神社です。
▼西側にもう一つ鳥居が建つ入口があります。
▼とっても趣のある雰囲気の手水舎です。
2020年以来、手水舎はどの神社も柄杓がなくなり、表現は悪いですが「垂れ流し」状態です。
感染症が収束しても、もしこのスタイルがノーマルになり、御朱印もどこも書置きがノーマルになるとしたら、
神社の風情も、御朱印の魅力も一変してしまいます。
嫌な予感ですが「垂れ流し」と「書置き」が「ニューノーマル」にならない事を願うばかりです。
▼「ハイ、ボクもそう思います!」と納得いただけたような気もしますが・・。
▼「どうかな?」
▼美しい社殿は昭和の再建です。
神楽殿とも連結されていて、
昭和の建築にしては手間暇、金を惜しまずに建てられた事がわかります。
▼本殿の右隣に旧本殿は、稲荷神社と名を変えています
▼天保年間に改修された旧社殿は匠たちの「技」が見事で誇らしげです。
近年の再建でこんな彫刻を再現するのは、かなり困難でしょう。
彫刻や像などの芸術品は知識もなく、魅力を感じることは少ないのですが、
分からなくとも、これは「おみごと!」です。
▼なのに写真は「ボケ」てます。
▼以下写真は「額堂」「神輿庫」「神楽殿」、富士塚っぽい「浅間神社」と続きます。
神社の鎮座する江戸川区は、ほぼ全域が荒川の東になります。
しかし、諏方神社の鎮座する平井だけが、荒川の西岸で墨田・江東区に囲まれ、まるで飛び地のようになっています。
人工河川である荒川放水路が地域の村々を分断した名残りでもあるのでしょう。
平井に住む人たちは墨田・江東 ・江戸川のどこにも属さず、独立区を望んでいるかもしれません。
そんな荒川を跨ぐ、江戸川区平井のステキな神社でした。