▼八坂神社の御朱印です。(東京都日野市日野本町三丁目)
「紀元祭」のスタンプの他に
日本書紀から引用した
「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位 於橿原宮」が添え書きされています。
wiki による訓(意味)は以下のように掲載されています。
「辛酉(かのととり)の年の春正月(はるむつき)、庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)。天皇(すめらみこと)、橿原宮(かしはらのみや)に於(お)いて即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。
さらに、
ということで、いただいた御朱印は2月11日・建国記念の日限りの授与だったかもしれません。
▼とはいえ、御朱印案内には日にちの過ぎた「節分祭」のものもいただけるようなので、2月11日以降も「紀元祭」の御朱印がいただけるかもしれません。
この日、賑やかに案内されていた直書きから書き置きまで「全部ください」と申し出れば、8種類の御朱印を手に入れることができたようです。
全部いただくとするとすると締めて4,900円ですが、金額はともかく意味ないことなので1種類だけいただきました。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
▼JR中央線「日野駅」から数分の八坂神社ですが、全国に数多ある八坂神社はこの地域にも他に小さな八坂神社が2社あります。間違えることはないと思いますが・・・。
▼「新撰組ゆかり」だけの予備知識で伺いました。要するに事前に境内の様子など神社の勉強をしないで訪問しています。それでも「新撰組ゆかり」ということで、神社の様子は勝手に想像してしまうものがあります。
さらに授与されている御朱印は確認をしているので、その御朱印から神社の様子を勝手に想像してしまう場合もあります。
しかし想像力の正確さがないのか、事前の想像はほとんどの神社で却下されます。
▼神社前の道路は甲州街道。現在はバイパスができていますので比較的静かな通り。
▼日野八坂神社で新撰組ゆかりのものは、この「天然理心流奉納額」案内と、御朱印、絵馬だけでした。何を期待してきたのでしょう? 勝手に期待し過ぎたようです。
近藤や沖田の名が見つかる奉納額も本物は例大祭と「ひの新撰組まつり」の時にしか公開されません。
創建は不詳で古い歴史を持つ神社ですが、アッケラカンとした境内の様子も、社殿の様子も勝手な想像とはかなり異なりました。
▼手水社の左右の柱に花が結わえられています。少々殺風景さを感じさせる境内に小さな光となっていました。花の飾り付けは、おそらく御朱印を受け付けていただいた優しそうな女性の手によるものだと想像します。この想像は間違っていないでしょう!
▼近頃、狛犬を撮影することが多くなりましたが、相変わらず知識はないので、ミーハーなコメントしかできませんので止めておきます。
▼境内に入って社殿はどこ? と探してしまいました。当初は参集殿か会館なのかなと思いましたが、幔幕と扁額で気づくより先に、他にそれらしき建物がないので社殿だと理解できます。
▼社殿入口の扁額。
▼さらに社殿内部の扁額は鳥居に掲げられていた扁額と同じ書体です。
▼祭神の素戔嗚尊を祀る元々の本殿は1800年の再建だそうで、社殿の中に収められていました。近くに寄れませんでしたが見るからに美事な、緻密な彫刻で覆われています。
▼参集殿のように感じたのは無理もありません。社殿には違いありませんでしたが、要するに「覆殿」でした。
▼その「覆殿」の左に「八幡社」がポツンと建ちます。
▼こちらにも繊細な彫刻がありました。
▼さらに左隣の小さな祠は「山王社」と書かれていました。
「八幡社」と「山王社(日枝神社)」の境内社2つは御朱印もあり、社務所前の案内に掲示されています。
▼ご神木ではなさそうですが、太い幹とコブだらけの根元は境内で一番に威張っていました。
▼新撰組を簡潔にイメージさせる浅葱色の山形模様と誠の文字の絵馬。浅葱色の山形だんだら模様を御朱印にデザインしたのは、唯一ここ日野八坂神社だけでしょう。素晴らしいアイデアです。
この浅葱色を白く染め抜いた山形だんだら模様を、新撰組隊士が装束として使用していたのは、僅か一年ほどだったと言われていますが、一般には新撰組のトレードマーク的に扱われ、一目瞭然に新撰組を連想させます。2020年は5月9日、10日の土日に開催される「ひの新撰組まつり」に合わせて訪問すれば神社も見違えるような姿になっているに違いありません。
普段なら日野を訪問して新撰組を身近に感じたければ市内にいくつもある「新撰組のふるさと資料館」や「土方歳三資料館」などを見学するのが手っ取り早いかもしれません。