朱印がメインで2体の違いはありませんが、それぞれの印は新しくなっています。
▼同じく2012年の御朱印。
5年の隔たりがあると、いただく御朱印も印象が相当異なる。単なる書き手の違いか、片や男性的、片や女性的だ。
メトロガイド
地下鉄駅に入った。メトロガイドが山積みされていた。
一部いただいてくる、おおきに!
毎年、シーズン毎にテーマの変わらないこの無料誌が、もう長い間続いている事に驚愕と感謝の気持ちを同時に覚える。
春は桜、そして紫陽花、夏は花火、秋は紅葉、そしてイルミネーションの冬から初詣。この特集パターンは10年以上変わらないのでは?
だがその変わらぬ脳無しな特集を毎号眺めている者の方がアホだ。10年以上続けばアホも特徴、ワザに変身する。
年4日発行の季刊誌が年6回の発行になり、その部数も100万部というからオドロキだ。
いつものように山積みのメトロガイドは、皆が手にして明日の同じ時間になれば姿を消しているはずだ。
今月のブログは七福神を集めてみようと思っていた。
しかしメトロガイドはこちらより先に特集を組んでいた。もう初詣特集だ、このヤロー、毎度の事だが流石だ!
それも今日のブログ掲載を予定していた2つの神社が開いてすぐの4ページ目のトップに紹介されてる。過去に何回も掲載されているのに。
東京の有名神社だから、今さら新鮮味はゼロ。
しかし視点はそれぞれ異なるかもしれない。
メトロガイドの今号の特集の方がよほどマトを得ていて詳しい。
5年ぶりで赤坂の2社を訪問してみたのは1ヶ月前。
赤坂氷川神社
▼まずは氷川神社。千代田線赤坂駅から最短距離で境内に入ろうとするとこちらの参道から入ることになる。
▼木々が左右から覆いかぶさり鬱蒼としている。すこしジトッと湿った感じがする。
▼鳥居をくぐり左手。庭っぽい造りだが、やや荒れたイメージ。夏は木陰で涼しいかも。
▼右には四谷稲荷社。
▼階段を上がって鳥居の右手が本殿になる。
▼社号標もあり、楼門・本殿が正面に続くこちらが正門になるのかな?
参集殿ではこの日は2組の結婚式の案内が・・。境内は黒服と送迎の黒ハイヤーで埋まっていた。
1組数人の七五三参りより、数十人になる結婚式組の方がどうしても目立つ。
神殿で挙式中の時や新郎新婦が境内の移動や撮影時などは、こちらが遠慮しなければならない気持ちになって、おちおち参拝もユックリできない。
自分の結婚式でもないし、祝福を通り越して、ウルサイなと思う時もあるくらいだ。
何度も言うが、本当に神社での挙式が多くなったようだ。都心や大きな有名神社に限られているかもしれないが、神社が潤う事は喜ぶべきことかもしれない。
しかし、その分ほかの式場が喰われているわけだ。そうでなくとも人口減少や晩婚化が進んでいるとなると、挙式の奪い合いなり中途半端な式場は客離れが進み経営が成り立たなくなる。
もっとも3年前くらいのデータで結婚した66万組のうち17万組は再婚カップルということだから、再婚者が多く出て来れば挙式数も上昇するということなので複雑だ。
以前、有名ホテルのチャペルで盛大に挙式した知人が4年後再婚して、今度は神社の神前で挙式した。イエスに見放されたから大国主命に乗り換えたのか?
3度目はどなた様に誓う?
一生未婚者が増えて、再婚者も増えているとすると、ここも結婚できない者と、できる者の格差が大きくなりつつあるのか?
結婚なんていつでもできると思っていて40近くまで遊んでいて「そろそろ神輿を上げるか」と思っても、そうはうまくいかない場合もある。
その時はこんなに金ピカに輝いていないかもしれない。
▼歴史を感じる境内を後にして帰りはこちらから。
氷川神社横の坂の上と、坂を下って振り返ったところ。
赤坂に坂はいっぱいあるが「赤坂」という名称の坂はない。
何れにしても八百八町に、八百八坂だ。この近くだけでも転坂、槍坂というのがある。
そして乃木坂方面を目指す。
坂を降りたら左に折れる。ここら辺りはもう東京ミッドタウンの裏手になる。
整理されていない入り組んだ細い道を行く。
どこでもない、東京赤坂6丁目だ。
六本木の裏道に入ってもこんな様子は多く見られるが、10年後にはこんな風景はなくなっているかもしれない。
そしてまたタワーマンションが一丁出来上がりそうだ。
東京ミッドタウンにほぼ隣接。一体誰が買って、誰が住むのだ?
確かなことは ¥がないワシには縁がない!
神
ビル内だったりビルを背負っている神社は多々見かけるが、神社そのもが高層建築になることはないだろう。
しかし、高層建築の屋上が全て境内という神社ならイイんじゃないか!
神社敷地内に30〜50階のマンションかビジネスビルを建設。屋上に森を造り遷座する。人々はエレベーターで参拝に上がる。神社経営はさらに安泰となる。まったく荒唐無稽?とは言えない何が起きてもおかしくはない未来だ。
赤坂乃木神社
▼乃木神社の短い参道はクランクになっている。
▼クランクを抜けると二の鳥居。
1962年に復興された比較的に新しい拝殿は好みは別にしてモダンだ。
森の深い氷川神社とは対照的に、こちらは明るくアッケラカンとしてドライだ。歴史的にも氷川神社とは対照的だから現代的で乾いたイメージだ。
神社のできる前までの時代では、神社前の坂名が乃木坂ではなく「幽霊坂」だったとか。そのころはジトッと湿っていたかもしれない。
ここでも挙式が・・。オメデトウサン! まさか2度目じゃないでしょうね?
ゴメンナサイ! 悪意ナシです。 オシアワセに!!!
旧乃木邸
神社と同一敷地内に公園を併設して旧乃木邸がある。乃木神社の始まりの全てがここ乃木希典の邸宅だ。
この2人実在だったとしても後々に作られた逸話だろうね? きっと!
人々が逸話を作るほどの乃木さんだったのかな?
約百年前、明治天皇の崩御に際し武士だった乃木はこの屋敷で殉死「追腹」だ。
惨劇ともいうべき様子も想像することができるのか、この邸宅が一般にオープンされるのは日が限られているようだ。
神格化された乃木将軍が愚将だったという印象は売れっ子作家だった司馬遼に影響されているかもしれない。
乃木の国内外の勲章の数を知れば誰もが認める英雄だったかもしれない。
ある一面だけで人の評価はできない。功罪は皆等しく持つ。
愚かばかりの人は見たことがない、悪いところばかりの人も見たことがない。
同じく、賢いばかりの人間にも会ったことがない、あんたのイイところも、ある一面だけだ。
神と祀られている乃木希典も100年前までは人間だった。
そんな人間のハシックレにある者のブログに、今夜も訪問いただいた皆さんコモエスタ!? デル コラソン!