▼初音森神社 初午(?)の御朱印です。(東京都中央区東日本橋)
▼同じく、紙質の異なる「狐」の初音森神社の御朱印。
2体とも書き置きです。300円と500円、と理解して800円を賽銭箱に納めましたが、もしかしたら2体とも500円だったかもしれません。
▼週末に何度訪問しても留守の神社で御朱印は手にできませんでしたが、久しぶりに訪問したらこんな案内が・・。
上の写真の案内の通り、少しわかりづらい内容で、御朱印自体は上の2種類しかありませんでした。
「通年のものは300円」と表記されてますが、白い紙の御朱印は午のスタンプが押されているので「通年のもの」ではなく、「二月・三月御朱印 初午と狐」とありますので、いただいた2体は、ともに500円の可能性大でした。
通年・午・狐の3種類が置いてあれば間違わなかったかもしれません。
次回、あらためて200円追加の賽銭を納めに行きます。
▼神社の前の通りは「両国郵便局通り」となっていますが、西に「江戸通り」を横断した先は「柳原通り」になり、この通りを進んで秋葉原近くには御朱印はスタンプしか置いていない「柳森神社」があります。
反対に神社前を東に進むと「柳橋」があり、名称は「柳」だらけです。江戸時代の神田川沿いは見渡す限りの柳原だったようです。
住所表記は中央区東日本橋ですが、中央区の東端になり神田川の向こうは台東区、隅田川の先は墨田区になります。
▼浅草橋駅からも3、4分のアクセスですが、13階建てビルの2階に神社はあります。
▼赤い鳥居がなければ神社とは気づきません。
▼赤い鳥居の脇に小さな祠。対の狐さまがいらっしゃるので稲荷社?
どこにも名称が見つかりませんが、御朱印案内にあった江島杉山神社でいただける「杉田稲荷神社」なのでしょう。
▼2階への階段を上がります。
▼神殿内部です。
ビルトインの全体は神社の体裁がありませんが、初音森神社の本社は両国橋を渡った先の墨田区千歳にあり、こちらは「儀式殿」という位置にあるそうです。
神社は元々は馬喰町に鎮座していたそうで、その後墨田区に遷座。さらに1973年に元々の馬喰町近くの現在地に「儀式殿」をビルとともに造営されたそうです。
▼江戸時代には神社前に馬場ができ、初午祭には馬追いの催しが行われ、馬喰も大勢住んでいたそうです。その縁の名馬の像。
▼1階はビルの出入口になっています。
▼中に由緒書きがありました。「初音森」という聴きなれぬ名称の由来がわかります。
少し長く、漢字だらけで読みづらい文章ですが引用してみます。
当神社は元弘年間(1330年頃)に創祀され、豊受比売命(宇迦之魂神)を祀る。文明年中太田道灌公により大社殿が建てられた。当時初音之里と呼ばれ奥州街道添い樟木等の生い茂った森、すなわち後の初音の森が現在の馬喰町靖国通り交差点の辺りであった。尚この処を初音の里と称え日本橋四之部、馬喰町、横山町はその中心に位置し、社殿建立によって付近の産土神として信仰をあつめた。天文20年(1551)社前に馬場が出来、初午祭には馬追いの催し等が行われ、天正日記に初音の馬場を当時の博労(馬喰)高木源兵衛預りの記録がある。徳川幕府の入府後、この所が見附番所(浅草見附門)建設にあたり境内地の半分程が削られ、更に明暦3年の大火後、その別当地(神社をお守りする寺)も関東郡代屋敷地となり、現在本社のある墨田区千歳に替え地を拝領し遷宮、今日に及ぶ。昭和23年旧蹟の一部であるこの所(現地)に神社を建立し、昭和48年12月新殿及び儀式殿を近代建築とした。
▼広重の画「馬喰町 初音之馬場」です。
▼ビルの下の「東京Lily」というカンバンは、カフェかと思われるほどオシャレですが、さすがこの地域の5Fにカフェはないでしょうねぇ。その割には若い女性や男子の出入りが頻繁に見受けられました。
そんな出入りする男女が皆「東京Lily」に行くわけではないでしょうが、あとで調べたらこのカンバンの正体は神社とは正反対なショーバイを営む企業のようです。もちろん合法でしょうが・・。
広重が描いた馬喰町は現在は繊維問屋街となっていて当時を忍ばせるものは何も残っていませんので、神社前の通りを東に200mほど進んで「柳橋」を散策してみます。
▼関東大震災からの「復興記念」と彫られた黒い石碑と「柳橋」の説明板。
▼石のモニュメントにも銅版の説明がありました。
▼上がってみます。
▼井之頭公園から続く手前の「神田川」の河口が隅田川と合流しています。隅田川に架かるのが「両国橋」。背後に白い高速道路があり、情緒もなく分かりづらいですね。
▼「柳橋」は橋そのものの名称でもありますが、昔は新橋と並ぶ江戸・東京を代表する花街の地名でもありました。
しかし現在の花街 柳橋は「台東区柳橋」という地名と橋を残すのみで、馬喰町同様当時の面影まったくありません。
1999年に最後の料亭が廃業して200年近くの歴史に終止符を打ったそうです。
▼橋そのものの「柳橋」は見る位置、側面と正面ではその姿を変えます。へばりつくようでもあり、優美な曲線を描く姿でもあります。
▼橋のたもとには「舟宿」。
江戸時代にはここから舟に乗り、隅田川を遡り、浅草を過ぎて山谷堀に入る客を案内していたそうです。客の行く先は東京湾でなく「吉原」です。
東京にはお台場あたりまで繰り出す屋形船の船溜りがいくつもあります。
ほとんどの屋形船は夜の営業ですので、昼の船溜りはどこか寂しげですが、情緒もあります。ゆらりゆらりとする舟を見ていると飽きません。
▼写真奥は秋葉原方面に見える「美倉橋」。
情緒ある神田川ですが、南こうせつがヒットさせた叙情歌「神田川」は、ここよりかなり上流の川を題材にしています。
初音森神社を訪問したら、ぜひ柳橋まで足を伸ばしてみてください。
柳ジョージも歌っています!
🎵 新橋 両国 柳橋 夜の明けるまで飲み続け 粋な 酔って候