神社の読みは「はにつじんじゃ」です。
「土津」の文字は、どうやっても「はにつ」と読めませんが、
この神社に祀られている会津初代藩主「保科正之」の「霊神号」だそうです。
土津神社を守り、祭事を行う人々のために造られた集落は「土町(はにまち)」という門前町を形成しています。
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▼磐梯山は民謡で歌われる「会津磐梯山」であり「会津富士」とも呼ばれています。
北側が「裏磐梯」と呼ばれ「磐梯朝日国立公園」となっています。
▼土津神社は猪苗代湖畔から4kmほど北へ入った磐梯山麓の深い森を背にして鎮座しています。
保科は生前この地を訪れ自らの墓所と定め、1673年に保科が亡くなると遺言通りこの地に葬られ、2年後の1675年に土津神社として造営されています。
当初の土津神社は、日光東照宮と比較されるほどの絢爛豪華な建物だったそうですが、
戊辰戦争で会津藩が敗れた際に燃やされ、一旦全てを失っています。
敗れた会津藩は下北半島の斗南藩に移封されると同時に御神体も遷されています。
その後の明治に斗南藩が廃されると御神体も猪苗代に戻され、土津神社の再建がなされています。
▼社殿から10分ほど歩くと全く静かな「奥の院」に到着します。この奥に保科正之の墓があります。
いつも墓所や廟所では、神社の社殿前では感じられない空気感が流れています。
しかし、秋には紅葉で埋め尽くされた境内がライトアップされ、幻想的な世界が繰り広げられ、観光的スポットとしても知名度が上がっているそうです。
▼巨大な「霊神之碑」は、保科正之の履歴を刻んだ石碑です。
▼石碑の亀石は、当初、眼下に猪苗代湖が見える南向きに置かれていたところ、亀は一夜のうちに湖まで這い出してしまったそうです。
そこで亀を北向きにしたところ、二度と這い出すことはなかったと伝わり、
相変わらずステキなストーリーが添えられています。
さて土津神社はそこそこに、この後の予定のため早い時間内に福島市内に向かう必要がありました。
「磐梯吾妻スカイライン」経由で福島市内を目指します。
▼途中の「国見台」は霧で何も見えません。
▼それどころか10m先の視界も覚束ない有り様。
しかし交通量はごく少なめ。
そして山の天気は気まぐれです。
▼直ぐに霧は解消します。
全国のシーサイドライン同様、どのスカイラインもこれほど気持ちの良い走りはありません。
▼「浄土平」です。
しかし、ここをゆっくり散策してる余裕はありません。
▼まるで西部劇のように、この先進む道が細く見えています。
▼遠方に目的の福島市街が見えました。
もう一走りです。