▼羽黒山五重の塔の御朱印です。(山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒山)
国宝五重の塔の御朱印ですが、どの神社に属しているのかよくわかりません。羽黒神社? 出羽神社? 出羽三山神社?
そんなふうに考えなくとも、単純に山岳信仰としての三山内にある塔と考えれば良いのかしら?
みなさんはどのように解釈していますか?
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修験道としての出羽三山は理解できます。月山・湯殿山・羽黒山です。
しかし神社となると、どこがどうなっているのか、出口の見つからない迷路のようにチンプンカンプン。
月山神社、湯殿山神社、羽黒神社となれば、すんなりそれぞれの山にある神社だなと理解できます。しかし羽黒神社は出羽神社で、正確には「出羽三山神社」です。
明治以降、神社になってしまったからメンドクサイことになったのかしら?
ひっくるめて信仰の山「月山」で良いのかもしれません。
三山の頂上には昔から祠らしきものはあったのでしょうが、当時はそれぞれを神社とは呼ばなかったはずでしょうから。
山形市内から鶴岡方面へ車で走ると右手に神々しく白く輝く巨大な塊が見えます。
▼出羽三山の主峰である標高約2000mの月山だと想像がつきます。高いというイメージではなく横に大きく、異星が静かに着陸したような形です。しかし三山のうち1500mの湯殿山と400mの羽黒山は、月山の懐に抱かれて見分けがつきません。
鶴岡の街中で蕎麦店に入ったのですが、提供されるのに時間を要し、歯も悪くないのに、食べ終わって店を出るまでに1時間ほど費やしました。
おいしかったものの、1時間を費やしていただくほどのシロモノではなく、中途半端に宝くじが1000円当たったような気分でした。予定の遅れを取り戻そうと、少し急いで羽黒山に向かいます。
▼途中、大鳥居を抜けます。
▼鳥居を過ぎると、いつまでこの姿を持続できるのか不明ですが、なかなかいい感じを残している宿坊が軒を連ねる「手向」集落に入ります。「手向」は「とうげ」と読むそうです。山形ですので思いっきり訛ってしまったようです。
信仰の山の麓にはどこでもある参道に続く宿坊ですが、関東甲信越で思い出すと御岳山、大山、久遠寺、戸隠などの宿坊の町はとってもいい雰囲気を残していて、再び訪れたい気持ちが湧いてきます。
▼徐々に高度が上がる道をさらに進み左折すると、山も確認できないのに、いきなり鳥居が見えてきます。
▼黒ずんでいて判読できませんが額には「月山 湯殿山 羽黒山」とあります。
▼山は見えないはずです。隋神門をくぐると谷底に下りるような階段になっています。▼歓迎されたのか、着いてからいきなり天気が崩れましたが大したことなく、五重の塔まで歩みます。▼なぜここに五重の塔が? 周りはすべて杉の巨木。今は杉の森に五重の塔だけですが、かつては周辺に寺院や僧坊が数多くあったとか。
でも、それを想像するのは困難なほど周囲の杉の木はどれも年齢を重ね巨大で、沈黙を守っています。
羽黒山は宗教都市というほどではなかったかもしれませんが、信仰の山である白山か、月山かの違いだけで、生い立ちと現在の姿に大きな違いはないように思います。
▼京都、奈良を始めとする寺の境内で見る五重の塔とは異なる背景を抱いて悠然と屹立する塔は、ある側面、孤独に見えなくもありません。雪で覆われることの多い冬にはさらに孤独感と、相反する力強さが感じられるかもしれませんが、脇には塔と同じく千年の時を一緒に過ごしてきた「爺スギ」。独りぼっちではなく、孤立もしてないようです。
▼祓川(はらいがわ)にかかるウソのように真っ赤な朱塗りの橋は神橋でしょうか。
▼渡るとドバドバと惜しげも無くダダ漏れの「須賀の滝」です。修験者がこの川と滝で禊いだことは容易に想像できます。全くわかっていませんでしたが、だんだん出羽三山神社がわかってきました。小学3年生のように、何故ここに五重の塔かがわかってきました。
ここは羽黒山山頂へ続く神社の参道でした。主峰の月山を崇める湯殿山があって、羽黒山がある、そしてそれぞれ山頂に社がある、と勝手に理解することにします。何れにしても主人公は「月山」でしょう。
▼そして羽黒山頂に続く参道は約2500以上の階段を1.7km、1時間ほど登るそうです。頂上を目指し登り始めた果敢な仲良し男子二人を羨ましく思いながら見送り、ワタシは階段下で一人孤立していました。
五重の塔の内部は明治以降、公開されたことがないそうですが、2019年、令和元年に限り11月末まで公開中だそうです。