▼水上山 月江寺(臨済宗妙心寺派・山梨県富士吉田市下吉田三丁目)
近くにある小さな池はかつての名残りか、昭和の昔は2800㎡もありボートを楽しむ人々で賑わった「月江寺の池」があったそうです。
▼そんな池の高台にあるから山号が「水上山」でしょうか。
「水上山」も「月江寺(げっこうじ)」も共にとてもロマンを感じる名称です。
そのロマンは?と言えば、寺の起こりは鎌倉時代に遡り、
その後、廃絶・再興・衰退・火災を繰り返すうち寺の名称も何度も変わり、
廃仏毀釈も経て現在に至るというストーリーを持っています。
近くの「冨士山下宮小室浅間神社」は寺の鎮守社だったそうで、
「北口本宮富士浅間神社」には仁王門と仁王像も所持していたそうですが、
廃仏毀釈により破却され、現在はその跡しか残っていないそうです。
河口湖や富士吉田周辺の神社・寺社はすべて富士信仰と関わりがあったと言っても間違いないかもしれません。
この地域の有名神社の別当を務め、富士山北麓地域では最大規模の寺院だった寺も
2020年の夏は墓に線香をあげに来る地元の方々の他はひっそりとしています。
庫裏にも「留守」の案内がありました。
諦めずに街を一回りしてきて再び戻りましたが、「留守」の看板はそのまま。
書置きの案内もなく、御朱印は断念しました。
機会をつくれたら再訪することにしましょう。
結局、寺の方は戻って来られなかったのですが、以下はその間に歩いた吉田の歓楽街の様子です。
▼山門前のこの坂を下りました。
▼傾斜の急な「入山川」は青い水が勢いよく流れています。この水も富士の雪解け水?
▼川を越えて進むといきなり昭和にタイムスリップです。
▼月江寺の月光仮面に力道山です。吉行淳之介の写真などもありました。
▼「街のホテル」はレトロとは言えませんでしたが、空っぽ。
▼現役ではないでしょうが「医院」御殿です。もちろん表札は「醫院」。
こんな御殿が建つほど、かつては地域の多くの患者を診てきたのでしょう。
この街には戦後に「織機をガチャンと1回廻せば万の金が儲かる『ガチャマン景気』」と言われた好景気に沸いた時代がありました。
織物業に関わる昭和の人々の歓楽街として、進駐軍相手の私娼街としても名を馳せた街の興亡は、
月江寺の興亡同様に、今また「昭和レトロ」な町として再注目され、新たに活性化プロジェクトも立ち上がっているそうです。
▼以下、夏の陽射しの影と誰も通らぬ路地裏がギャップを満開させ、レトロでカオスな迷宮をご覧ください。
何が「ミリオン」なのかわかりません。
カオスから戻っても月江寺は「留守」が続いていました。あきらめて、
▼この道をまっすぐ進み「北口本宮」を目指します。
▼「箱根から河口」は続きます。