深沢神社の御朱印
「ふかさわ じんじゃ」(東京都世田谷区深沢5-11-1 )
オーソドックスなスタイルですが、朱印帳にいただいた筆書きは「深澤」の文字の「氵」が尖っていて印象深い御朱印となりました。
中央の大きな朱印は「深澤神社之印」、左下は「村社深澤神社参拝印」でしょう。
▼とっても気持ちの良い御朱印はペンションのような姿の社務所でいただきました。
「ご朱印」「おみくじ」のノボリが立てられていますので、安心できます。
ところが社務所の2階から、何らかの掛け声やドスン、バタンの物々しい音が聞こえ、御朱印どころではないのかと感じましたが、ピンポンに即応いただきました。
直書き、書置きのどちらでも対応いただける事でした。
そして賑やかな掛け声とドスン、バタンの正体は神社主催の「空手教室」の音でした。
社務所には子供たちのスニーカーが無数に脱がれ並んでいました。
▼当社へは最寄と言える駅は「等々力駅」「桜新町駅」ですが、どちらも1.5kmほどあります。歩くのが嫌な方は「等々力駅」や「駒沢大学駅」からバス利用となります。
深澤神社の鎮座地は世田谷区「深沢」です。
「沢」の文字のつく地名は全国的にも無数にあるのでしょうが、東京にも多く、
特に世田谷区にはここ「深沢」をはじめ「奥沢」「駒沢」「代沢」「北沢」など多く見かけれます。
「沢」は文字通り細い川や、短い川、水が溜まり水草などが生えているところを指しますが、沢」の文字のつく地名は東京23区内でも標高の低い東側にはほとんどなく、標高の高い西側に集中しています。
「自由が丘」や「尾山台」「道灌山」など「丘・台・山」などがつく地名も23区の西側に多く分布しています。
東京の地形を思えば納得できる事で、起伏の豊かな武蔵野台地が「丘・台」を造り、その周囲の低いところに「沢・谷」ができるのでしょう。
かつての世田谷の深沢には、きっと深い沢があったのでしょう。
▼神社の東側を走る「呑川」の「沢」から「台」地へ続くように、緩やかな坂道に面して当社の鳥居が東向きに建ちます。
創建は1564年「三島大明神(三島大社)」を勧請しています。
したがって長い間「三島神社」「三島社」と呼ばれていたそうです。
「三島」の名称は隣接する区立幼稚園や公園にその名が引き継がれています。
明治以降、深沢村内に点在する七社を合祀したのを機に「深澤神社」と改称されています。
▼堂々とした造りの「手水舎」に、堂々とした水盤は1トンくらいありそうです。
▼しかし除菌液が置かれ、流れる水はなく干からびているような印象です。
誰のせいでもありませんが、寺社に除菌液、消毒液ボトルほど似つかわしくないものはありません。早く取り払われる時を待つばかりです。
空手教室に関連する人たちの車なのか境内には多く駐車されていました。
社殿前にも駐められていて、どうしても車が映ります。
▼神明造りの社殿はコンクリート製ながら優雅さが感じられます。
車で参拝することの多い当ブログは、寺社が専用駐車場、もしくは境内に駐車できるスペースを設けている時は本当にありがたく感じるのですが、
▼時にはジャマに感じる時も多々あります。勝手なものです!
▼白を基調とした社殿は周りの緑と調和して、気持ちの良い美しさを見せます。
▼そして境内右手には桜が植栽され、参拝時はまさに花びらが散りはじめでした。
▼桜ではないですが「御大典記念樹」。
▼社殿右手にピンクの絨毯を敷き詰めた、もう一つの鳥居が構えています。
▼「レッドカーペット」ならぬピンクカーペットの先は「深澤弁天社」でした。
「市杵島比売神(いつきしまひめ)」が祀られています。
▼弁天社に手を合わせたものの、さらに「弁天社参道」の石柱。
▼その先の参道らしき道を進むと、数メートル下に続く大穴が開いていました。
飾りっ気を感じなかった当社の奥にこんな素敵な神域がありました。
▼弁天社に架かる朱塗りの橋なので「弁天橋」でしょう。
当地は「深沢」と言われるだけに湧き水や池などが多く、貴重な水が得られたのでしょう。
それを当たり前と思わず、神からの恵みとして敬ってきて形にしたのが「弁才天」のように思います。
▼ここの石窟は弁財天社の「奥宮」的な扱いのようです。
▼弁天社は古くからあったものを昭和に復興整備、さらに改修されているようです。
広い空間のある境内は車が何台も駐車されていて殺風景にも感じましたが、
空手教室の子供たちの掛け声、均整のとれた美しい社殿などとともに
何よりも弁天社の奥の院が印象的な深沢神社でした。
▼同じ世田谷区内の「・澤」神社の記事。