▼豊國山 回向院の御朱印です。(浄土宗/東京都荒川区南千住5-33-13)
中央上の御朱印はどんな文字が刻まれているのかさっぱり分かりません。
最後の二文字だけは「墓所」と読めます。
日付が2013年の御朱印で、改めて御朱印と写真撮影に訪問したところ、史跡見学・参拝は休止中。
寺内に入ることもできず、当然、御朱印も空振りになりました。
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▼回向院はJRと地下鉄「南千住駅」前にあります。
mapの表示でも「小塚原」とされているように、
両国の「本所 回向院」に対して、こちらは「小塚原 回向院」とも呼ばれています。
▼南千住駅の東側は操車場とJR貨物の「隅田川駅」と「隅田川ターミナル貨物駅」があり、数えきれない線路が錯綜しています。
地下鉄日比谷線もこの駅から北は地上に出て高架を走ります。
▼駅ホームから「回向院」の大きな寺紋が光って見えます。
「小塚原回向院」はかつては「本所回向院」の別院でした。
本所回向院は4代将軍「家綱」との関わりがあった関係から「三つ葉葵紋」が使用されているのかもしれません。
▼JRも地下鉄も高架の下が駅になっています。
▼駅と回向院の間の道路は「旧日光街道」、通称「コツ通り」です。
手前が山谷方面、奥は国道4号線に突き当たり、そこには「素盞雄神社」があります。
かつての「コツ通り」は通称の通り都内でも屈指のショボくDEEPな通りでした。
それが駅前に高層マンションが建ち、道路の電柱も地下埋設され、写真のようにスッキリした通りに変身しています。
▼つくばエクスプレスの駅もでき、さらに駅北東の「汐入エリア」は高層マンション群となっています。(写真は【wiki】)
南千住駅の利用者は山谷の労働者から、
スーツ姿のビジネスマンが革靴で「コツコツ」歩く街に変貌してるのです。
しかし古い南千住を知ると、
ここは「西成 あいりん地区」「横浜 寿町」とで形成する「日本三大ドヤ街」の
「山谷」の延長線上にある街です。
「山谷」はイメージを払拭したいためか、その地名は白々しい「清川」「日本堤」などに変更されています。
▼【wiki 】でも「山谷」はリッパに「ドヤ街」として紹介されています。
単純なことに、宿(ヤド)街を逆さ読みにしただけの「ドヤ街」ですが、
現在も安い宿が多く残ります。
それらの宿は安いだけに諸外国からの多くのバックパッカーにも人気があるそうです。
同じような経緯をたどっているのが、小規模のドヤ街「森下」です。
森下は昭和に「深川通り魔殺人事件」を秘めています。
そして南千住は「吉展ちゃん誘拐殺人事件」を歴史に刻んでいます。
▼そんなDEEP negative な街、南千住に建つ回向院は江戸時代に「江戸三大刑場」の一つ「小塚原刑場」で刑死者・獄死者を供養するために建立されています。
▼コロナ禍で寺に入ることはできませんでした。
「小塚原」は、吉田松陰はじめ多くの有名な刑死者が埋葬され、その骨もゴロゴロと姿を見せていたので「骨ヶ原」とも呼ばれていたそうですが、
どちらも最初の読みが「コヅ」か「コツ」です。
そこから「コツ通り」という名称もついたのでしょう。
江戸時代の杉田玄白らは、ここで刑死者の腑分けに立会い「解体新書」の正確さに驚き翻訳したと言われています。
このようなダーク歴史が盛りだくさんの南千住の高層マンションにお住まいの方たちには羨ましさを感じます。
東京中探しても、これほどのダークネタの歴史を持つ地域は他に知りません。
「南千住駅」を乗降駅とされてる方たちは、何と誇らしいことでしょう!
決して「田園調布」「代官山」に負けないでしょう。
南千住駅前のマンション「ブランズタワー」や「汐入エリア」のマンションにお住いのファミリーには、昨今地域に出現し始めた おしゃれなカフェだけでなく、
ぜひ目の前の「回向院」「首切地蔵」を訪れて、
そこに住めることのダークな誇らしさを確認してほしいものです。
自分たちが、どんな歴史を持つ地域に住んでいるかを。
「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の犠牲者を供養する地蔵は年月の差は感じません。
▼きっと、松蔭も変わらず眠っている事でしょう。
南千住で、もう一つ思い出しました。
宮部みゆきの作品で「火車」か「理由」のどちらかで南千住の街の描写があったように記憶します。
キラビヤカな町より好きな地域だけに自虐的な表現になりましたが、
やはり耳に届く「南千住」という単語は、ステキにダークな響きを感じます。
この記事により、地域にお住まいの方々が不快に感じましたら、陳謝いたします。
今回ロックダウンの「回向院」でしたが、懲りずに改めて訪問してみることにします。
回向院は明治期に常磐線敷設の際に南北に分断され、
南側部分が独立して「延命寺(首切地蔵)」となっています。
▼その「延命寺」と「大経寺」三大刑場の記事。