六阿弥陀の由来は四番の與楽寺でいただけます。
①西福寺 北区豊島2-14-1
②恵明寺 足立区江北2-4-3
③無量寺 北区西ヶ原1-34-8
④與楽寺 北区田端1-25-1
⑤常楽院 調布市西つつじが丘4-9-1
⑥常光寺 江東区亀戸4-48-3
番外「木余りの弥陀」性翁寺 足立区扇2-19-3
番外「木残りの観音」昌林寺 北区西ヶ原3-12-6
江戸六阿弥陀成り立ちの伝説は、当然、のちの世に作られた話でしょう。
伝説は日本各地に数多く残り、とりわけ寺社にまつわる話は多い。
その作者、作家?たちの創作力たるや、何百年も語り継がれるほど大きかったといえます。言い伝えといえども、さもありなん、と変に納得させられる部分もあります。
この種の伝説を疑うのはヤボです。宗教と共にあった大人の童話なのです。
誰にでも易しく、わかり易さが大事だった。そして少し前までの人たちは「へぇ〜!」と素直に感嘆したのでしょう。
江戸時代も元禄の頃になると、春と秋の彼岸に江戸六阿弥陀巡りの参詣が信仰と行楽を兼ねて盛んだったそうです。
何しろ自由な旅ができなかった、特に女性は困難だった時代だけど、寺社参詣となれば誰でも許されたようです。
そんな時代的背景を思えば「どこどこ・・詣」が盛んだったのもうなづけます。
物見遊山で、最高の娯楽だったのです。
江戸時代も現代同様「楽しみながら巡礼してください」だったのです。
でも、もちろん時間もお金も余裕のある人しか出かけられません。
遠方への泊まりがけの「詣で」となると、その余裕はさらに必要となります。
そんな中、もしかしたら、この六阿弥陀巡りは1日、日帰りでできたかもしれない。
何しろチョー健脚だった江戸の人々だから。
五番の常楽院も当時は上野にあったようですから、「弥次さん喜多さん」の親戚たちが夜明けとともに出発して、彼岸の陽が真西に沈むころには六寺を無事、楽しく巡り終えていた事でしょう。
▼1番 三縁山 西福寺(真言宗豊山派・東京都北区豊島)
▼2番 宮城山 恵明寺(真言宗・東京都足立区江北)
▼龍燈山 性翁寺「木余りの弥陀」(浄土宗・東京都足立区扇)
▼補陀山 昌林寺「木残りの観音」(曹洞宗・東京都北区西ヶ原)
▼「江戸六地蔵」もあります。