▼越前大仏(出世大仏・清大寺)の御朱印です。
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永平寺を後にして、無料区間の中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)を経て、さらに内陸になる白山方面へ。
福井県を何も知らず、地味で陰気な地域と思っていたものの、連想できる単語はかなり出てきます。
とは言うもののやはり知識の浅い県だったわ。
この旅の間、市名だけは知っているものの「福井県にあったのか!」と言う市をいくつも通過します。
坂井市・勝山市・大野市などは福井県という具体性を持って記憶していない。
・・物事を知らない!
そんな勝山市に 清大寺(越前大仏・出世大仏)という寺があります。
いろんな意味で永平寺とは対照的。
まず、大型バスが何台も駐車できそうな、だだっぴろい無料駐車場があります。
しかし駐車している車は2、3台。観光バスなどは1台も見当たりません。
▼GW初日の28日、意気込んでやってきたもの拍子抜けするくらいガランガランだわ。
大門の手前に新し目の人工的な門前町が形成されていまうs。
偶然、観光客らしき方たちが2組写っていますが、この参道と交わる左右に伸びる参道の商店はすべてシャッターが下りていて人は見当たりません。
▼ミニチュアの鯉のぼりだけがサミシくゆらめいている。映画のオープンセットかしら?
永平寺でも午前11時の参道は人が少なかったのですが、寺内にはすでに多くの参拝客が詰めかけており、帰り際には参道も観光・参拝客で埋まっていました。
さすがは永平寺でした。
しかしこの寺は最後まで出会ったのは4、5組の参拝者だけ。
ゴールデンウイーク初日とはいえ、このガランガランさは、何か理由がありそうです。
さらに一人の僧侶とも出会いませんでした。
とりあえず撮った写真を並べる。
▼大門。拝観料 金五百圓をお支払い。
▼中門。
中門をくぐると遮蔽物がなくなり、圧倒的なスケールで目前に現れる大仏殿。
規模は奈良東大寺の大仏殿をしのぐとか。
とにかくデカイ! 写真で見るよりデカイ!
▼写真中央下の灯篭とそのすぐ下の人とを比較すると、灯篭の大きさも尋常ではないことがわかるかしら?
▼大仏殿の階段上から中門を振り返ります。
▼五重塔。
▼そして大仏殿内部へ。足を踏み入れた途端、圧巻の大きさに思わず感嘆!
堂内には邪魔になる太い柱が無いから、一気に巨大な盧遮那仏が目の前に現れます。
▼人と比べると大きさが少し理解できます。
案内書によると光背も含めた総高28m、像高は17mでやはり東大寺の大仏より大きいとか。
測定方法の違いでどうにでもなるんだろうけど、鋳造仏としては世界最大だそうです。
大仏の目はハッキリしなく潤んでるようにも見えます。
▼大仏左右の菩薩と羅漢像。これも10m以上。
▼そして何よりも驚かされるのは堂内の左右の壁と大仏の背面の3方の壁がすべて小仏に覆われていることです。
卵を産むニワトリの鶏舎を思い出させられます。・・・発想・連想が貧弱!
小仏と言っても1体1m前後あり、1,281体が安置されているそうです。
寄進されたものではなさそうです。
▼建物を移動して、東寺よりさらに高く75mで日本一という五重塔内部。
▼五重塔から大仏殿を覗きました。
▼大仏殿の遠方に見えるのが勝山城博物館。
実はこの寺も近くの勝山城博物館もこの地出身の実業家の私財で建てられています。
この話は後述。
▼日本庭園を覗いてみます。
1987年に落慶したこの寺は歴史もなく、コンクリート造りのせいか無機質に感じるなか、ここだけがいくらかヤスラギを覚えます。
でも少し荒れています。小さな滝なども造られていますが庭園としては魅力が少ない。
預けておいた朱印帳を受け取ります。
いつものように多くの予備知識を得て訪れた寺ではありませんが、参拝し終わってなんとも不思議な、妙な感じの寺でした。
確かに大きさは日本一の大仏殿と、盧遮那仏、五重塔であり、大仏には度肝を抜かされるような驚きではありましたが、趣は一切なく、建物や仏像の背後に感じるものがありません。
寺全体に奥行きを感じさせなく、ハリボテを見ているような薄っぺらさです。
旅を終えてからウィキを読んでみました。少し長いが引用です。
「地元出身の実業家、相互タクシーの創業者多田清の手により建立され、1987年(昭和62年)5月28日に開眼供養[1]。
大師山清大寺は、当初観光目的の寺院であったが、2002年(平成14年)12月20日に臨済宗妙心寺派の寺院となり宗教法人となる。 当初、宗教法人にしなかったのは、勝山市に固定資産税等の税金を納めたかったためであると言われている。 拝観料は当初、大人は3000円であり、その後2500円、1000円を経て、現在(2008年11月現在)は500円にまで下がっている。
参詣者数は当初から伸び悩み、「門前町」と称する土産物店街は現在一軒のみ。1996年から納税が困難になり、2002年と2004年より土地、建物を勝山市が管理する。大仏と大仏殿は清大寺が管理し、敷地内の土地や五重塔などの建物は公売に出されたが、2009年7月で最低価格を下げての4度目の入札を行ったが、いまだ買い手は見つかっていない。」
なるほどで俗っぽい訳です。
妙な感覚を抱いた事と、薄っぺらさを感じた事が理解できました。
俗のカタマリみたいな人間だから、俗っぽいものがキライなんて言えませんが。
五重塔に登って大仏殿の後方に見えた勝山城博物館も、同じ人物の財によって建築されています。1992年に開館したこの城は、あくまでも博物館としての造りだったらしく、かつて現存した城を模しているものではないそうです。
しかしこの城も建物の高さは57.8mだそうで日本一。
「寺」も「城」も同じククリにある。
要するにこの寺はバブル期の落とし子だったのです。
客を引っ張れなかった大仏テーマパーク、完璧な観光施設だったのです。
当初より15年間ほど「寺」ではなかった。
その後「寺」になってまだ16年。
1991年に没した実業家・多田が何を求めて造ったのか詳細はわかりませんが、おそらく現状の寺・城は夢にも思わなかったかもしれない。
大きな誤算だった事は確かでしょう。
当初の拝観料が3,000円、バブル期とは言え、フッカケ過ぎ!だわ。
東大寺の大仏殿・盧遮那仏、東寺の五重塔を数値で超えるものを造った。
超えられないものは歴史ですが、当初はそんなものは無くとも観光寺として成り立つと考えられてたはず。
地元に多大な寄与をしたかもしれない実業家・多田ですが、その商魂があからさまに見えるが、ゲスの勘ぐり?
そして建立から30年の歳月は重厚長大を必ずしも価値あるものではなくしました。
この寺を省みると限りない不思議と疑問にとらわれ、現状の姿から未来のカタチは見えてきません。
現状は宗教法人ですが「寺」にも「観光施設」にもなれない。
昨今は曖昧になってきたましたが、もともと「宗教」と「商売」は対極にあります。
人々を集めようとする目的が見え透いた寺に魅力がなく、人々の参拝は少ないのかもしれません。
今はこの寺の日本一の盧遮那仏も嘆いているかもしれない、悲しんでいるかもしれない、泣いているかもしれない。
いや、悟りを得た仏は何事にも左右されず、受け入れ、動じなく、堂々としているのでしょう。
そして、木造には及ばないもののコンクリート造りは、その質と造り方で100年、200年の耐久年数があると言われます。
歴史を重ね100年後、200年後のこの寺は賑わいを得て隆盛を誇っているかもしれません。世は無常!
そしてさらに歴史を重ね300年、500年となれば良い。
こんな寺もあるのかという事で、一度くらい訪問してみる価値があるか無いか、あなたが見極めるしかないわね!