荏原神社の御朱印
(東京都品川区北品川2-30-28)
書置きでいただいた御朱印は下に掲載の2013年のものと大きく変わりませんが、神紋と思われる「菊紋」と「左三巴」が無くなっています。
理由はわかりませんが、「元准勅裁社」と「元総鎮守」の2つのスタンプに変化はありません。「元」にこだわりを持つ神社のようです。
品川宿から先の旧東海道沿い展開する東海七福神は、東京の他の七福神同様、とっても人気でここ2、3年は御朱印をいただくのにも大変なようです。
▼荏原神社は品川神社から徒歩数分の位置にあります。最寄駅は「新馬場」。
▼時期になるとニュースなどで取り上げられることの多い目黒川の桜ですが、ここは、その川のかなり下流になり、東京湾はすぐ先になります。
▼江戸八百八橋ですので、目黒川にも多くの橋が渡されています。
大動脈のR15の「東海橋」には鳳凰でしょうか、目を引くグリーンと紺色は未来的な鳳凰を感じさせられます。
▼東海橋の下流には旧東海道に架かる品川橋。両橋とも造られたのは新しそうですが、デザインのコンセプトは違うようです。
▼上記の目黒川に架かる2つの橋の間にこの橋があります。
観光でやってくる外国の人々が、日本の朱色の千本鳥居に感動を抱くのは、見慣れたワタシたち日本人にとっては、少々オドロキでもありました。
しかしワタシにとって朱色の橋は、朱色の鳥居よりワクワクさせられます。
境内の入り口や、境内に入ってからの「朱色」ではなく、神社に導く「朱色」の先を想像させられるからでしょうか?
橋名板には「鎮守橋」と刻まれています。橋は老朽化しているので「さっさと渡ること」というような意味の看板があります。
やむを得ない事とは言え少々ブスイかも。
ところで「品川区荏原」という住所表記される地域がありますが、この神社の鎮座地はそんな地域よりもっと東になります。
さらに「荏原七福神」という名称がありますが、
ややこしい話ですが、時代を町村制以前に遡れば何の不思議はなく、
この地域一帯は荏原郡だったのです。
▼鳥居をくぐると東海七福神を担う恵比寿像。
神社は創建1300年と伝わり、近隣の地域を代表する神社で、何とあの「東京十社」に名を連ねる品川神社より長い歴史を持っているのです。
明治天皇からは明治元年「品川貴船社」として「准勅祭社」12社の中に定められたそうです。と言ってもそれは荏原神社の言い分でもあるようです。
元准勅祭社12社の内から東京近郊の10社が選ばれ、
言い足せば1975年に関係神社が協議を行い「東京十社」が決定されたわけですが、
その時の准勅祭社12社には荏原神社の名はなく、品川神社が入っています。
荏原神社のHPによりますと、本来その品川神社が品川貴船社(荏原神社)だとの説明があります。
明治期の記録があやふやなのか、昭和までの間に何らかの力関係が影響したのか、想像するしかありません。
荏原神社が、かつては地団駄の思いであったかもしれないという想像は、
穿ち過ぎかもしれませんが、御朱印に「元」の文字スタンプがある事などで十分納得できる事でもあります。