「神光」と筆書きされるのは、この神社だけかも知れません。
その力にあやかりたいのか、この二文字を使用する企業や団体が多いのも、面白い現象です。
「大寶八幡宮」の読みは「だいほうはちまんぐう」で、
旧字を使わず「大宝八幡宮」とも表記されます。
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ほとんど大宝八幡宮参拝者のための駅でしょう。
1時間に上下各2本の普通列車が停車するそうです。当然無人駅です。
関東鉄道常総線は「取手駅」と「下館駅」を結ぶ、全線非電化の私鉄路線。
非電化ということは気動車で運行しているのでしょうが、いずれにしても沿線に住み、東京に通勤する者以外、利用することのない路線です。
▼しかし取手駅から約1時間、トコトコとローカル線に揺られながらこの神社を訪問するのも悪くないかもしれません。電車で訪れてもその価値のある神社でしょう。
神社名も駅名も「ダイホウ」と読みます。
▼表参道からは3つの鳥居が連なっています。
▼三之鳥居周辺には桜の木が多く植えられています。コロナ禍でなければ、人出ももう少し多いはずでしょう。
▼神社がある地は南北朝時代までは南朝側の拠点となる大宝城があったそうですが、北朝側との戦さにより1343年に落城しているそうです。
「大宝八幡宮」は、701年に宇佐神宮を勧請しての創建で「関東最古の八幡」とされています。
奈良への平城京遷都が710年ですので、701年創建というと飛鳥時代です。
1300年という、とんでもなく古い歴史を持つことになります。
平安時代には戦勝祈願のために平将門も参拝し、鎌倉時代には頼朝が鶴岡八幡宮を勧請し摂社の若宮八幡宮を創建したと伝わります。
また源義家の伝説もあり坂東武者、関東武者のオールスター神社です。
▼「随身門」はかつての神仏習合時代は仁王門と呼ばれていたかもしれません。
江戸時代までは神社の周囲に8つの寺があり「大宝寺」「大宝寺八幡宮」と呼ばれ、大規模な神仏習合体を形作っていたそうです。
したがって隋神門には右大臣左大臣ではなく、仁王像が大宝八幡宮を守っています。
▼随身門から先の参道両脇には、おびただしい数の狛犬が参拝者を迎えてくれます。
いずれも奉納ですので崇敬の篤さと、崇敬者の多さに驚かされます。
▼御神木の脇に大釜が置かれています。何かの神事に使用されるのでしょうか?
▼手水舎手前の参道脇には小祠の境内社が並んでいます。
▼「手水舎」は七福神や亀、めでたい物で囲まれています。
▼拝殿手前左手には「神楽殿」が見えます。
▼「拝殿」は明治期の造営だそうです。
▼ところで「八幡宮」はいつから「大宝八幡宮」になったのでしょう?
創建は701年、大宝元年とされますが、当時から大宝八幡宮と呼ばれていないはず。
戦国時代には当地の大名が戦勝祈願するたびに刀剣を奉納することから
「剣八幡宮」と呼ばれていた時期もあったそうです。
▼寺っぽい雰囲気は数多く吊られた灯篭のせい?
どこの八幡宮も創建の新旧に関わらず単に「八幡宮」だったはずですが、
いつからか創建年の「大宝(タイホウ)」という目出度い年号を冠するようしたのでしょう。
八幡宮のHPによれば、江戸時代の家光による朱印状には「大宝村」という記述が見られというので、
その頃には「大宝八幡宮」が鎮座する「大宝村」と呼ばれていたかも知れません。
村の名称より神社の名称が先に「大宝」とされたとすると、
遅くとも江戸時代初期には既に「大宝八幡宮」と呼ばれていたことになります。
でも村名が先か、神社名が先かは全く逆かも知れません。
いつから「大宝八幡宮」と呼ばれたかなど、どうでも良いことかもしれませんね。
▼拝殿内の狛犬は、地蔵像や稲荷社の狐像のように「赤い前掛け」。
狛犬にも赤い前掛けは正しいのですが、勇ましい狛犬には似合いません。
▼この表情ですが、こちらも狛犬。
我が国民は「撫でる」「磨く」「こする」「かける」が大好きです。
ツルツルになっています。
▼神社に「鐘楼」は神仏習合の名残りです。
▼「祓戸神社」。
▼「太湖石」の説明は、中国からもたらされた石か、神社当地から掘り出された石か不明ですが、観賞用、瞑想用の「奇石」だそうです。
▼奇石群の傍に「弁財天社」。
▼さらに「青龍権現社」が並んでいます。
▼東に位置する門は・・・
▼「笑門」と名付けられています。
▼社務所前には木造の大黒と恵比寿像。
社殿周りに鎮座する境内社を巡ります。
▼珍しい名称の「黒鳥神」は大国主を祀ります。
▼「祖霊社」は江戸時代末期に建立された唯一神仏習合の遺構、かつては「大宝寺護摩堂」と呼ばれていた建物。
▼稲荷神社は「悪縁」を切ってくださるとか。
▼ほかにも境内社は途切れず並びます。
一つ一つ神社の案内説明がありますが、境内社の多さに正直、もうどうでも良くなっちゃいます。
バチアタリです。
▼「大宝城跡」の石碑。
▼「本殿」も見えてきました。
国の文化財で1577年に建立されたものが引き継がれているそうです。
▼頼朝が鎌倉から勧請した「若宮八幡宮」。
▲▼神馬と七福神に見送られ神社を出ます。
大宝八幡宮は神域も広く、疲れるほどに、まだまだ見所の多い大社です。
桜の時期や、紫陽花の時期がイチバンの訪問時のように思います。
そして「大社」であること「最古」であることを心して参拝すべきでしょう。