2014年と2020年の二体の御朱印構成は何も変わっていません。
これぞ「正しい御朱印」と勝手に理解します。
しかし2020年は朱色の印、スタンプはすべて新しくなっていました。
有名寺社の朱印、スタンプは磨耗が激しいのでしょう。
ほぼ忠実な朱印、スタンプですが、微妙な違いが表れています。
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秩父神社が「一宮」とは知らなかったのですが、
これは「全国一の宮会」によって創設された「新一宮」という社格だそうです。
御朱印にも「一宮」の二文字はなく「知知夫国総鎮守」とされています。
▼週末の秩父駅、秩父神社周辺はいつも混雑しているイメージを持っています。
2020年の10月も同じように道路も神社の駐車場も大混雑でした。
三峯神社・宝登山神社とともに「秩父三社」と呼ばれますので賑わうのも納得ですが、
ここは駅から近い街中の神社ですので、なおさら参拝者が絶えないようです。
▼大鳥居の前は大勢の人が行き交います。
▼社頭の大きな狛犬は時節柄、手ぬぐいのマスク姿。
獅子たちはマスクをしていても、なかなか絵になっています。
チンケな安倍のマスクではなく「手ぬぐい」を使用したセンスはGood !
秩父神社といえば、提灯で飾られた山車の曳き回しや、冬の花火が弾ける
12月、真冬の「秩父夜祭」が有名ですが、2020年は全面的に中止だそうです。
秩父の人たちや、訪問しようとしていた人たちにとっては何とも寂しいことです。
有名で大きな祭りは人の「密」のサンプルのような様相を呈するので、
一向に治ることを知らない「最強ウイルス」ですので、中止もやむを得ないでしょう。
それにしても「コロナ騒ぎ」は、2020年が明ければ1年間の厄災となります。
透明性の全くない中国当局が「新型コロナウイルス」を公にしたのは12月31日。
当然その前から感染者は出ていたのでしょうが
「これはヤバイ」と悟ってからの当局の報道だったのでしょう。
地球上のすべてに感染症を拡大蔓延させた「中国の責任は大きい」とするトランプの言葉にも同調したくなりますが、
やはり正体の未知部分が多い「新型コロナ」の責任どころを一国に求めるべきではないでしょう。
そんなコロナ禍の真っ只中に秩父神社を参拝するたくさんの人々は、
祈る願い事が「感染症終息」の方も多いのでしょう。
何ともスゴイ、キツイ、ヒドイ、1年間だった2020年も残すところわずかですが、
12月の感染症状況の数値は最悪に陥っています。
Go to どころではなく、地球上の人々がかつて経験のない師走を迎えています。
BLOG記事をキーボードに叩く一時だけウイルスを忘れることにします。
▼拝殿前は参拝者が少しディスタンスをとって列が伸びます。
▼賽銭箱は横に長くしてありますが、やはり参拝は一人ずつ、1グループずつです。
日本人の繊細な気遣いがアダとなって、参拝者の多い神社は列が伸びます。
かつての大人たちの神社参拝法はシンプルで、淡白。
「二礼二拍手一礼」などと言う合言葉さえ大きく意識せず、
ましてや「二礼二拍手一礼」の貼り紙などなく、
ただ頭をたれ、手を打ち、シンプルに祈っていました。
▼2014年3月の参拝時は雪が残っていました。
そんな参拝作法を神社側はいつから大事にして、参拝者を啓蒙するようになったのでしょう?
手水舎にも作法がイラスト付きでガイドされています。
幼い頃には、決して目にしなかった風景です。
▼秩父ではなく「知知夫」です。
神社側のあり方や、人々の神社、神に対峙する思いは
時の経過とともに変化して当たり前ですが、
「村の鎮守」の原型のままが理想と思っている身には、
変化を慣れるのに相当の時間が必要になりそうです。
▼見事な社殿は1592年、家康の命により造営されたもの。
庶民が真に神に祈る姿に「カタチ」は自ずと追いついてくるものと思います。
ところが昨今の日本はすべてに「カタチ」が優先されるものが多々見受けられます。
釣りにしても、乗馬にしても、山登りにしても
「カタチ」「ミナリ」「ミゴシラエ」が最初にある昨今です。
もちろん、カタチが整えば、身も引き締まり心も整うものでもあります。
そこの「カタチ」に従順というか、逆に育てられてきた若者たちの姿が見えてきます。
人々が寺社の神仏に対する考え、思い、願いが変化することを
数多く訪問する寺社に感じさせられます
文字数が多くなったこの記事に、新たにキーボードを叩く力が薄らいできますが、
秩父神社の撮影対象には一つ一つガイド掲げられていましたので、
以下、何の説明文も無用でしょう。
▼鎮座2100年と伝わる神社には、数多くのの境内社が続きます。
▼白虎門。
▼東門。
▼あまヶ池は、ホッとする空間です。
「秩父三社」の名にふさわしい素晴らしい古社でした。