▼青砥神社の御朱印です。()
社務所の受付はカワイイ巫女さんでした。
奥に座っていらっしゃる宮司さんらしき方にリレーされ丁寧に記帳いただきました。
右下のスタンプは何だろうと思いましたが、よく見ると「イノシシ」。
年毎の干支がスタンプされるようです。
▼御朱印をお願いすると、由緒書きと一緒にタオルをいただきました。
300円お渡ししたか、500円受け取ってもらったか忘れましたが、いずれにしても小額の御朱印初穂料にタオルなどいただくと申し訳ない気持ちになります。
寺社参拝で撤饌や飴とかティッシュをいただいた経験は多くありますが、タオルをいただいた事はないと思います。
失礼ながら青砥神社の境内は取り立てて特別な印象に残るものはありませんが、いただいたタオルだけで深く記憶に残ることになりました。
感じ方は人それぞれでしょうが、高額な物ではないとしても神社の顔が見えてくるように思います。
ありがとうございました。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼青砥神社は京成「青砥駅」から歩くと15分ほどです。
神社名、駅名は「青砥」ですが、地名は「青戸」です。
神社近くに「葛西城址」がありますが、環七通りに分断されて公園になっています。
かつての城を想像させるものは何も残っていません。
▼現代の人々の城は神社近くで高層マンションとなっています。
「葛西城址」の「葛西」は、過去記事にした「葛西神社」と同じようにそれぞれの名称は「葛西」ですが、江戸川区南部の現地名としての「葛西」ではありません。
平安時代頃よりこの地域の広域な呼び名として「葛西」はあったようです。
▼「青砥神社」や「青砥駅」の「青砥」は、この地域と所縁のあったと伝わる鎌倉時代の武将「青砥藤綱」に由来し、青砥神社の祭神としても祀られています。
「青砥藤綱」と言われても知識はありませんが、以下の逸話は聞いた覚えがあります。
夜に滑川を通って銭10文を落とし、従者に命じて銭50文で松明を買って探させたことがあった。
「10文を探すのに50文を使うのでは・・・」
と、ある人に嘲られたところ、藤綱は
「落とした十文は永久に 失せることなく、松明を買った五十文は諸家が利益を得ることになり、これは天下の恵みではないか」
と答えた。
滑川というのは現在も鎌倉市に流れる川のことでしょう。
そんな逸話から、深謀遠慮な政道を為した青砥藤綱公の理非曲直を明らかにする清廉潔白なお人柄が窺われ、今日まで多くの氏子・崇敬者に慕い敬われております。
wiki と 神社のHPからの要約引用でしたが、この地域に住む人たちが「青戸」より「青砥」に親しみを持つ理由が分かったような気がします。
でも町名だけはしっかり「青戸」で、行政的には「青砥」の文字は一切用いないようです。
もっとも他にも、埼玉・蕨市にある「和楽備神社」や静岡・三保の「御穂神社」など、地名と神社名の読みや音は同じでも使用する文字が異なる例はいくらでもあります。
ところで古文献においては「青津」「大戸」「大津」などと記されることもある「青戸」ですが、「戸」の意味を恥ずかしながら最近初めて知りました。
江戸、水戸、奥戸、今戸、松戸、登戸、坂戸、清戸、神戸など、全国で多くの地名に使用されている「戸」は、渡し場・船着場・埠頭などがある湊のことでした。
なるほどです。
「津」の意味は何となく分かっていたのですが、「戸」も同じような意味でした。どこも昔は海か川が側にあった地域です。
ボーっと生きているので、そんなことも知らずにいました。
いつものように神社の話からは相当脱線しています。
改めて青砥神社の御祭神です。(神社のHPからの引用です)
猿田彦命(さるたひこのみこと) 進むべき道に正しく導いてくださいます
健御名方命(たけみなかたのみこと) 調和と団結の心を与えてくださいます
宇迦之御霊命(うがのみたまのみこと) 豊かな恵みと心に憩いを与えてくださいます
伊耶那美命(いざなみのみこと) 万物の母神としてお守りくださいます
高皇産霊神(たかむすびのかみ) 生成を司り殖産興業をお佑けくださいます
誉田別尊(ほんだわけのみこと) 私たちを邪神からお守りくださいます
菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 知識教養を与えてくださいます
彌都波能目神(みずはのめのかみ) 汚れを祓い身心健全を授けてくださいます
青砥藤綱公(あおとふじつなこう) 千辛万苦に際し天佑神助を取り持つ神様です
HPは大変わかりやすく九つの神様を紹介されています。
人に必要な、または望むことのほとんどを叶えてくれそうです。
▼神社の西側にある鳥居です。正面の鳥居の写真は行方不明!
記事内容は脱線したものの「青砥」や「青戸」の意味を知り得ることは、この神社が悠久の時を紡いできたことを理解する上で欠かせない事でもあるようです。