法隆寺の御朱印
「ほうりゅうじ」聖徳宗 総本山(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1-1)
墨書き、印ともに「みね やくし にょらい」と難なく読めます。
中央上の円形印だけは同じく分かりません。
読めても「峰薬師如来」または「峰の薬師」と呼ばれる名称については明らかではないようです。
▼愛知・鳳来寺でいただいた「峰薬師」の記事
▼JR大和路線に「法隆寺駅」がありますが、法隆寺南大門までは1km以上あります。
法隆寺を中心とした地域は「斑鳩(いかるが)」で知られています。
この2文字を普通に読むと「まだら はと」ですが、どうして「いかるが」と読むのかとっても不思議です。
「斑鳩」の古くは鳥類の名でもある「鵤(いかる)」とも表現されたそうです。
そんな不思議な地名に建つ法隆寺は「斑鳩寺」「鵤寺」とも呼ばれます。
▼土産物屋などが両脇に並ぶ気持ちの良い松並木の広い参道を進むと国宝の「南大門」に突き当たります。
国宝の「南大門」ですが、飛鳥時代に創建された法隆寺の建物群は世界最古の木造建築ですので、国宝どころか全体が世界遺産です。
▼「南大門」を進んで見える景色の開放感は、周りに現代の高い建物、ビルがないだけに、その清々しさは他に類を見ません。
法隆寺の周辺が都会にならなかったのが幸いで、
伽藍のバックに東京タワーや高層ビルなどありません。
1400年前に太子が目にした伽藍の景色と大きく違わないかもしれません。
▼「中門」に近づくにつれワクワクする気分は一層高まってきます。
▼中心伽藍の前に「西円堂」を訪れました。
建物は普段閉扉されています。
正岡子規が「柿食へば鐘が・・・」と呼んだ俳句は、この「西円堂」の鐘だそうで、現在も8時〜16時まで2時間ごとに鐘が突かれるそうです。
法隆寺は再建、非再建論などをはじめ、様々な「謎」に正確な答えを出せない部分を抱えていますが、約1400年前の建造物である事は確かでしょう。
▼「五重の塔」「金堂」「大講堂」と進んでいきます。
高さ34mの「五重塔」は上層階ほど小さくなり、どっしりとした安定感をしせていますが、気品と荘厳さは失っていません。
▼法隆寺の中でもこの「金堂」が世界最古の木造建築物。
▼「大講堂」の白い垂れ幕が風にそよぎ、こんな清々しいお堂は経験ありません。
▼東院伽藍方面へすすみ、振り返った西院方面の眺めです。
「夢殿」は大昔の百円札を見ると聖徳太子と向き合って左右に図案化されています。
その後の紙幣にも聖徳太子は千円札、五千円札、一万円札に図案化されほとんど毎日のように顔を見合わせる人物のでしたが、
1984年に福沢諭吉の一万円札が現れてからというものは、とんとご無沙汰です。
普段は聖徳太子を身近に意識する事は無くなりましたが、御朱印収集者や寺社巡りの好きな方たちには太子信仰の「太子堂」となって各地で度々その存在を思い出させられます。
聖徳太子没後の天平年間に完成されたという東院伽藍の本堂「夢殿」は、太子信仰の聖地でもあるそうです。
▼八角形の瓦葺き屋根に「宝珠」が光ります。
難しく深い知識などなくとも青空がとってもよく似合った法隆寺は
飛鳥・天平の光と空気が目の前に広がるかのようでした。