2020年梅まつり特別御朱印が3月8日まで授与されています。
記事タイトルを裏切ってます。梅まつり期間中には訪問していないので、リンクだけです。
これまで湯島天満宮の特別とか限定の御朱印は見たことがありません。梅まつりなどでは期間中だけの小さいスタンプは見ていますが・・。
「ブルータス、お前もか」と思いながら読んでみると、
書き置きで「墨書き部分は印刷」という良心的?な案内!があります。
▼写真も「湯島天神梅まつり」ページからお借りしました。
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▼2012年正月9日の湯島天神表参道鳥居前。正月風景は年月の経過を感じさせない。
▼参道は溢れそうな人出で思うように歩けません。
▼同じく、2019年7月の胴鳥居前。夏の人間は薄着になって、夏の木々は厚着になる。人と木は逆だ。
▼小さい方の社頭は「都重宝 湯島神社 表鳥居」と記されています。今も神社ですが、呼び名が神社でした。
▼表参道には進まず、鳥居前を右に折れて男坂、女坂の参道方面に向かってみます。天神下はレトロな雰囲気を残した家並みが残っています。
▼男坂に向かう右手に「江戸三十三観音 札所七番 心城院」があります。2012年に巡った霊場が懐かしく蘇りますが、ちょうど「閉店」時間で、中には入れませんでした。湯島天神と、ほぼくっついているので心城院は別当寺だったのでしょう。
▼「男坂」です。40段くらいの石段は「現役オンナ」なら十分駆け上がれます。
▼オモシロイものです! 男坂の下に心城院の観音さんや大黒天が祀られ、ここには地蔵尊です。
▼「女坂」方向に進むと右手に昭和レトロな板壁の建物は、まだ現役のようです。
▼玄関前の置石。もとはどんな生業だったのでしょうか?
▼「女坂」です。
▼ここは2月から3月にかけては梅の花の香りで、むせ返るかもしれません。
▼境内に回り込みます。おなじみ道真の使者「牛」さんです。
▼拝殿は1995年の再建で、内部はすべて木曽檜を使用した木造の権現造。
▼本殿側面です。
▼本殿の後方は木々で隠されておらず、堂々とした見事な「おしり」を見せています。
▼本殿の後方にある2つの境内社。
▼1つは「笹塚稲荷神社」
▼もう1つは狛犬が守る「戸隠神社」。東京で戸隠神社はここだけのはず?
▼受験を控えたこの時期、天神様は多忙です。
▼鈴なりの絵馬には一人一人の人生の節目の願いが込められています。
▼季節は夏ですから、梅園の木々も春先の可憐な姿を想像できないほどモサモサです。
▼明治の作家「泉鏡花」の筆塚。「月は晴れても心は闇夜だ」
「切れるの別れるのって、そんなことは芸者の時に云うものよ」
「婦系図」中の湯島天神を舞台にした有名なセリフですが、あまりにも時代を感じさせられ、いささか陳腐さも漂ってます。
▼本殿の裏になる参道は「夫婦坂」と名付けられています。
▼こちら側にも立派な社頭が建ちます。
「夫婦坂」を降りるとそこは「春日通り」が本郷方面に坂を作っています。
その坂はかつては「切通の坂」と呼ばれていたようです。
▼啄木の歌碑「二晩おきに 夜の一時頃に切通の坂を上りしも 勤めなればかな」。朝日新聞で校正の仕事をしていた時期の22歳の啄木が終電を逃し、上野広小路から本郷の自宅までこの坂を歩いて帰ったそうです。
明治期の切通坂にガス灯くらいはあったのでしょうか? 深夜の暗闇に啄木の下駄の音だけが響いていたのかもしれません。
▼今、その坂の反対側には多くの若者がみんなスマホと向き合っています。
普段は人がたむろする場所ではないので、ポケモンでも現れたのでしょうか?
「湯島の白梅」ならず「湯島のポケモン」ということかしら?