▼妻戀神社の御朱印です。(東京都文京区湯島三丁目)
「美麗」と言う表現がピッタリの墨文字です。
▼元日から4日まで授与される金文字の迎春記念御朱印の案内がありました、限定ファンではないので今回はパスしました。
▼2017年の御朱印。
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▼悪夢のような参拝者の行列がつくられていた神田明神を裏参道から出ます。
裏参道下は蔵前橋通りで、緩い傾斜の「妻恋坂」となっています。
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神社由来の名称「妻恋坂」を少し登ると「清水坂下」交差点から湯島天神方面へ「清水坂」が始まります。
▼その「清水坂」の途中に神社の案内看板があります。2、3年前に新しく設置されたもので、確か以前は石で出来た案内だったと記憶しています。この神社も何度も訪問していて記事にもしていますが、元日は初めてです。
▼「吉夢」とは良い夢を見るためのお札のような授与品です。
神社のHPからお借りした写真と引用です。
初夢(その年に初めて見る夢)でその年の吉凶を占うという古来からの風習がありますが、吉夢(よいゆめ)とは、枕の下に敷いて縁起の良い夢を見ようという縁起物の一つです。
▼何度も訪問していながら元日は初めてで、さらに夕方5時近いこの時間帯も初ですが、献灯が灯された神社は昼間とは違いとても良い雰囲気です。
▼普段はひっそりしていることが多く、無人の神社ですが、さすが元日はたくさんの参拝者が訪れています。「妻恋神社」という美しい名称の由来は、創建不明の神社の起源まで遡ります。
日本武尊が上総の国碓日嶺に登り東南の方を望み「吾妻者耶・・・・・」と恋い慕いたもうたとの意を取って「妻恋明神」と号した。
引用は神社のHPからですが要するに、
日本武尊が「あづまはや(ああ、吾が妻よ)」と弟橘媛命を偲んだことを知った湯島の郷民が、東国征伐のために一行の野営地となった場所に日本武尊と弟橘媛命を祀ったのがが妻恋神社の始まりであると伝わっています。
その言葉「あづまはや」から、関東を「あづま・あずま」と呼ぶようになったとも言われています。
▼普段は扉を閉めている社殿も正月はオープンです。
文京区といえども、湯島界隈は広範囲にラブホが点在していますが、一昔前のようなケバケバしさは少なく、一見ラブホ?と疑うようなスタイリッシュなホテルも多い。
▼ラブホもこんな外観ならば参拝者の目をごまかすことができます。
▼社殿の左奥になります。神社に「水子地蔵」は珍しいのでは?
▼基本的に神社が供養するとは思えませんが、例外もありでしょう。神仏分離し切れなかった名残でしょうか?
▼「妻戀稲荷社」です。湯島の地は早くから稲作を行っていたと伝えられ、五穀の神である倉稲魂命を祀り、江戸時代には妻恋稲荷と呼ばれ、多くの参詣者を集めたそうです。
▼稲荷社ですが使者の「狐」さまは、祠の中の小さな姿だけでした。
さて元日の夕も深まってきました。
暖かい部屋に戻って、ハイボールでワタシなりの「吉夢」を追います!