この温泉神社は由緒ある式内社で、朱印の打出の小槌内に祭神が記されています。
また、いただいた由緒書き表面には「以和貴 温泉神社」と記されています。
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前回記事の「佐波波地祇神社」の北茨城市から北上して「勿来関」を越えて、福島県いわき市に入りました。
いわき市はダダッ広く、東北でも仙台に次ぐ人口を持つ大きな市となっています。
しかしながらワタシは詳しくは何も知りません。
「常磐ハワイアンセンター」がある街、というくらいの知識。
しかも訪れたこともない「センター」は、とっくにその名称が変更されていて「スパリゾートハワイアンズ」になっています。
▼そんな「いわき湯本温泉」にある神社です。写真では確認しづらいですが「延喜式内 縣社温泉神社」の社標の奥、左右に2つの新し目の石柱には「修理固成」「光華明彩」と刻まれています。
なんとなく雰囲気は理解できますが、これまで耳目にしたことのない言葉です。寺社は一般人には難しい漢字に溢れています。
▼鳥居は上部が金属のタガで補強されています。「修理固成」の石柱や、このタガは大震災後に施されたものなのでしょう。
この地は「スパリゾート」も長い休業を余儀なくされた「3.11」と、その後の「4.11」の地震にみまわれています。
▼しかし大地の怒りの大きな動きは、湧きいずる温泉を停めはしなかったようです。石碑の上から熱い温泉をほとばしらせています。白い部分は温泉の硫黄成分が付着したものでしょう。
そしてこの石碑に「佐波古神社」と刻まれています。この神社の古い名称だそうです。
しかし、この神社を訪れる直前は「佐波波地祇神社」を参拝しています。
「サハハ」に「サハコ」です。2つの神社は20、30km離れた場所に鎮座してますが、偶然同一の「佐波」ではないでしょう?
ナゾです。
▼あいにく拝殿は改修中でした。古い歴史を持つこの神社は、元々は近くの湯ノ岳(佐波古峰、三箱山)に鎮座していたそうです。やはり山がご神体だったのでしょう。現在の鎮座地は「
そして wiki には「古代から佐波古氏(さはこうじ)が代々世襲神主として連綿と継承されている」と記載されているので、もう「さは」まみれでチンプンカンプン!
さらに、あの西行も「陸奥の さはこの御湯に 仮寝して 明日は勿来の 関を越えてん」と歌を残しているそうです。
2社連続の「サハ」「サハ」神社を参拝した事になるのですが、「さは」の謎は深まるばかりで、気持ちは一向にサバサバしません。
▼ややこしいことは考えず、気持ちの良い境内を巡ります。
▼また、石碑に難しい文字が刻まれています。刻まれている文字は「神霊に逢える社 神籬の湯」だそうです。
▼「神籬の湯」は「ひもろぎのゆ」と読むそうですが、誰が読めるのでしょうかねぇ?手を漬けてみれば、郷ひろみのアッチッチッチッ! でした。
「さは」の謎に疲れた頭は、足湯ならぬ、頭湯にしてみたくなりました。