弘法山 遍照院の御朱印
「へんじょういん」真言宗豊山派(愛知県知立市弘法町弘法山19)
▼遍照院の御朱印です。
遍照院は南無大師遍照金剛と同じく「へんじょういん」と濁る読み。
右上の朱印は「御自作」の墨文字に隠れて読めない部分がありますが
「三弘法 根本霊場 第一番」。
中央の筆文字は「見返弘法大師」、左下印は「弘法山遍照院納経所」。
▼「知立駅」からですと15分近く歩くことになります。
▼「三河三弘法」と言われていて3ヵ寺あるわけですが、訪れることができたのはこの寺だけ。
今更ながら「弘法大師」のスーパースターぶりを思い知らされます。
今回の3日間でこれまで訪れた寺は真言宗がほとんど。
弘法大師が何らかの形で関わっています。
この寺は空海が自らの坐像を三体刻み、そのうちの一つが本尊とされていて,
約1200年前の大師創建。
秘仏だからその姿は拝めませんが、寺のHPによると
「三体の座像の中、一番根本で刻まれた大きな御像が別れを惜しんで、やや右を向いて振り返っておられる御姿であるという」
「見返り」で連想するのは京都永観堂の「永観、おそし」の「みかえり阿弥陀」。
そちらは、ほぼ90度左を向いていますが、遍照院の弘法大師像は45度くらいで右向きのようです。
見た目45度だと、正面を向いていないだけで「見返り感」は少ない。
しかし我々でも人に呼び止められた時、振り返るばかりではなく、
気づいた合図として45度ほど首を回すことがあります。
ということで名称は「見返り」でヨシとしましょう。
それにしても、他にも大勢の「大師」さんがいらっしゃるのに、なぜ弘法大師だけ超人気なのでしょう。
ここは山号はもちろん、町の名前まで「弘法」です。
弘法大師伝説は北海道を除き、全国津々浦々に5000ヶ所以上あるそうです。
寺の建立、仏像造りに始まり、弘法水・独鈷水と言われる泉・井戸・池、そして弘法の湯。各地の温泉に開湯伝説が残ります。
何れにしても歴史上の空海の足跡をはるかに超える伝説・伝承が残っています。
高野聖や弟子たちの遊業が弘法大師としての伝説・伝承に加担しているかもしれません。
宗教を詳しく知らなくとも「弘法大師」という名称は誰でも知っていますが、ほかの大師の名は出てこない。
他の大師たちにしてみればズイブンと失礼な話で「大師」の代名詞が弘法大師になってしまっています。
「弘法も筆の誤り」など諺までにもその名が使われているから、伝教大師、慈覚大師たちもかなわない!
▼宝号の「南無大師遍照金剛」は、民間では昔「生麦大豆二升五合」と転訛しているそうです。
意味は全く違うが、イメージしやすく、音だけなら覚えやすかったのでしょう。オモシロイ!
「ほったいも いじるな」に近い。「what time is it now ?」
バカなことを言っているとお大師さまに叱られる「ボーッと生きてんじゃねーよ!」
今回の記事、寺の説明などは一切なしでここまで書いてきてしまいました。それだけ弘法大師のこととなると話は尽きないかもしれない。
この寺の境内の深さも尽きないようで、今回は駆け足で上っ面だけ覗いてきたことになるみたいです。
何しろ、いつものように予備知識はなく、初めから立ち寄ろうとしていた寺ではない。
▼こんな案内看板を見ていてやってきたのだ。自分のミーハーな部分が首をもたげる。
この看板で他にも気になる寺をもう一つ見つけました。次はそこへ行ってみよう!